注目の記事

今回お伝えしたい内容です。

  1. 遺骨から作るメモリアルダイヤモンド
  2. 営業は楽しい!
  3. 一生涯できるL"ARCHEでのボランティア
  4. 人生の目標について

です。私はあまり長文を書かないので途中で息切れがすると思います。そのときは適当に読み飛ばしていただけましたら幸いです。

自己紹介

私は、昭和41年生まれの丙午(ひのえうま)年です。もう4年もすれば丙午がやってきますが、みなさんは丙午の言い伝えをご存知でしょうか?

「丙は火の兄、午は正南の火であるところから、この年には火災が多いと信じられ、中国では北宋(ほくそう)時代の末から、丙午(へいご)を凶歳とする説が強まったが、これが日本にも伝わり、江戸時代には下級宗教者の手で村々に広まる間に、丙午の女は夫を食い殺すなどの俗説を生じた。近来、これを信じる者は少なくなったはずであるが、丙午にあたる1906年(明治39)、1966年(昭和41)は、ともに出生届が急減した。後者の場合、厚生省(現厚生労働省)の地域別統計によると、都市の若い母親ほど気にしていたことが明らかで、これはマスコミの影響による。」

これにより、人口統計分布図でもひのえうまの年(1966年)は人口が極端に少なくなっています。

会社で遺骨から作るメモリアルダイヤモンドの窓口を始めたので、終活協議会認定終活ガイドの資格を取りました。終活とは、

終活
  • 自分の持ち物を整理して
  • 自分の情報や遺産などを引き継ぐ作業です
  • エンディングノートや遺言書などで家族に伝えることで、自分もスッキリできるし家族も安心する活動のことです。

終活協議会さんの終活ガイド以外にも色々な資格があります。私は「自宅から半径2kmをうろうろしていれば近所の助けが必要なお年寄りのサポートができる」という終活協議会のコンセプトに共感して、終活ガイドにしました。

遺骨から作るメモリアルダイヤモンドとは

遺骨から作るメモリアルダイヤモンドは、ご遺骨から炭素を抽出して、高温高圧を掛けてダイヤモンドを作り出すサービスです。

メモリアルダイヤモンドへの質問

メモリアルダイヤモンドについて、このような疑問をお持ちになったかもしれません。

メモリアルダイヤモンドの疑問点
  1. 遺骨に炭素は残っていないのではないですか?
  2. 合成ダイヤモンドって、本物ではないですよね?
  3. メモリアルダイヤモンドに価値はあるのですか?

これらにお答えいたします。

遺骨に炭素は残っていないのではないですか?

遺骨の主な成分はカルシウムです。ですので、この疑問の気持ちは良くわかります。遺骨には約1%の炭素が残っています。お骨壷に700gのご遺骨が残っているとして、抽出できる炭素は7gになります。ダイヤモンドは炭素の結晶ですので、7gのダイヤモンドができることになります。1gのダイヤモンドは5カラットですので、7gだと35カラットになります。

実際にできるダイヤモンドは、高温高圧をかけるダイヤモンドアンビルという装置の関係で2カラットまでしか作ることはできません。ちなみに2カラットのダイヤモンドの大きさは直径8mmです。

合成ダイヤモンドって、本物ではないですよね?

合成ダイヤモンドも人工ダイヤモンドもダイヤモンドはダイヤモンドです。どういう意味かというとダイヤモンドという名称は、ダイヤモンドにしか使えないからです。ところが、ジルコニアという違う成分のイミテーションをイメージして、合成ダイヤモンドとか人工ダイヤモンドと呼ぶことがあります。これは間違いです。

消費者庁国民生活センターも「czダイヤモンドに注意」という注意喚起をしています。czダイヤモンドというのは、キュービックジルコニアのことで、これにダイヤモンドを付けて呼んでいるためです。同じような間違いを助長しないため、宝石鑑定士は、人工ダイヤモンド・合成ダイヤモンドとは呼びません。ダイヤモンドはダイヤモンドと表現されています。

メモリアルダイヤモンドに価値はあるのですか?

「とはいっても、天然ダイヤモンドではないですよね?」という疑問が出てきます。みなさんは工業用ダイヤモンドをイメージされているからこのように思われるのかと思いますが、1980年代には宝飾品としてダイヤモンドが人工的に作られ始めています。それから40年経っていますが、この間ダイヤモンド業界では大変なことが起こっています。

みなさんは、紛争ダイヤモンドという社会問題をご存知でしょうか?ダイヤモンド鉱山を支配することで紛争用の資金源となっているダイヤモンドのことです。映画「ブラッドダイヤモンド」が有名ですね。「紛争ダイヤモンドとは、紛争の資金源となるダイヤモンドのことです。 コンフリクト・ダイヤモンド、ブラッド・ダイヤモンドや血塗られたダイヤモンドとも言われます。 1980~90年代、アフリカの多くの地域で内戦が起きました。 そして、今でも中央アフリカ共和国やコンゴ民主共和国で断続的に戦いが起こっています。」

ダイヤモンド鉱山で働いているのは現地の貧困層や子どもです国際的には、この紛争ダイヤモンドを撲滅する活動をしていて、宝石を購入されるときに「紛争ダイヤモンドではない」表示がついていることを見かけると思います。天然ダイヤモンドは、紛争ダイヤモンド問題の他に、劣悪な労働環境による価格下落が続いています。メモリアルダイヤモンドは、この天然ダイヤモンドに起因する問題を解決できる一つの手段だと思います。

メモリアルダイヤモンドの窓口とは?

メモリアルダイヤモンド窓口は数社ありますが、弊社でもインターネット上にホームページを用意して、そこから問い合わせがあったお客様に対応するのが窓口の役目です。他の窓口と違う特徴は、

ハートインダイヤモンドの特徴
  • ていねいに対応している
  • 選択肢がたくさんある(色・デザイン)
  • オレンジが人気

です。他の窓口と違わない点は、

  • 価格は各社ほぼ同じ
  • ホームページで紹介しているだけ(押し売りしているわけじゃない)
  • 作り方・製造工程・品質はほぼ同じ

です。こういう製品が同じで料金もほぼほぼ変わらないとき、みなさんはどうやって選ばれるでしょう?

自分の場合は、北海道へ出張するときに同じ悩みを感じます。まるで、JALとANA、どっちのほうがオトクなんだろう?というのに似ていませんか?宿泊付き航空券の場合は、選択肢が多いだけ、選ぶのに苦労します。なぜかというと、値段が変わらないからです。結局「どちらのマイルを貯めているか」「どちらのカードがつかえるか」で解決します。

値段が変わらない場合は、たぶん、サービスや窓口の感じの良さで選ぶのではないでしょうか。

(承)営業は楽しい!

このサービスや窓口の感じの良さで選んでもらうときに大活躍するのが営業という職業です。私は、この会社で初めて営業を体験したのですが、最初はダイヤモンドではなくて医療機器の営業でした。それも考えてみると30年くらい営業していました。

最初に教えられたこと

医療機器の営業を始めた最初に教わったことは、3つあります。

営業で大切なこと3つ
  1. 技術・理論・基礎学力
  2. 信者=儲ける
  3. 商品は売り込まなくてもいい、自分を売り込んできなさい

技術・理論・基礎学力

入社して1年間みっちり「心臓とは・電気生理・心電図・不整脈・心臓ペースメーカとは・病院とは・医局とは?」を習いました。その間、現場に出ることはなくて、すごく退屈だったのですが、

  • 単語の暗記=単語帳を使う、発音できたら覚えられる(という英語学習の法則から)
  • 装置の操作=練習あるのみ
  • 電気的理解=もともと、オームの法則くらいは得意だった

で、乗り切ることができました。

現在、医療機器業界は「売れ筋」の就職先かもしれませんが、内情は償還価格制度と医療費の削減による業界再編がすすんでいます。

アパレル・自動車業界から就職する人も多いですが、泥舟かもしれないのでよく考えて入りましょう。

信者=儲ける

自分の信者になってもらうことが将来の商売につながるという理論です。

商品は売り込まなくてもいい、自分を売り込んできなさい

なので、商品を買ってくださいとお願いするのが営業じゃあないようです。「自分はこんなにすごいんですよ」と、本日のような自慢話をするのではなくて、誠実で素朴な自分を表現してきなさいという意味です。上記の3点こそが私の人生を方向付けてくれたのだと思いますが、いい会社でいい先輩に恵まれていたのだと、今になって思っています。

どれだけ営業が好きだったか?

医療機器の営業というのは、お医者さんがお客様になります。お医者さんの特徴は

医者の特徴(例)
  • まじめ
  • 朝早く・夜遅い
  • 滅私奉公

です。彼らは、同じような人間に価値を感じるようです。ですので私も「時間厳守」「謝らなければならないときは謝り」「わざわざ早朝夜中に話し相手になりに行き」「いわれたことはすぐに何でもやる」という活動をしていました。どれだけ営業が好きだったかというと、30代には、南極観測隊や青年海外協力隊で「営業」という職種があれば、行ってみたいなと思っていました。

そのころは、循環器内科の医師向けに「ペースメーカーとは」という授業を行っていました。その他に、病院で〇〇周年パーティーとか、就任パーティがあったりすると、カメラマンをやらせてもらったりしていました。そんな40歳代のある日のことですが、カメラマンがどういう役目かというと、記念講演のような大切なお話をされている先生の写真を壇上に上がって1m前から写真を撮る役目です。

最初はズーム機能を使って10m先から写真を撮っていましたが、暗くなったり手ぶれしたりしていました。「どうすばうまく撮れるのだろう」と、聞いて回った結果、カメラの高機能に頼らず「自分ができる最大限で無限の行動すればいい」ということを教えてもらいました。そんなカメラマンの最後に、思い出の集合写真を撮りました。その送別会の右端にいた主賓が、写真からはみ出していたという事件をいまでも覚えています。

どれだけすごかったかの自慢話

一応、自分がどれだけすごかったかの自慢話をしておきます。

  • 自治医大・獨協医大・国際医療福祉大学・埼玉医科大学など担当していました
  • 成績はトップでした(先輩から譲ってもらった営業先の病院が伸び盛りだったから)
  • 新規商材の販売と新規顧客獲得実績、訪問件数トップのモーレツ社員だった

医療機器営業のお約束事

医療機器のお約束事をご紹介します。医療機器は、

医療機器メーカーの営業
  • 命に関わる仕事のため
  • 医師の命令は絶対
  • 夜でも夜中でも時間が勝負

でした。失敗談ですが、ステントグラフトという手術が始まった当初、手術で使う材料を何種類も準備する仕事がありました。毎週月曜日に手術があるので、金曜日までにはすべて準備できていなくてはなりません。シース・バルーン・インデフ・ステントグラフトというのが主な材料です。そのなかの、シースが1種類、月曜日の朝になって届いていないことが判明しました。

医師に「これが必要だと思わなかった、すみません」と報告したところ、すぐに全身麻酔が中止になって、手術が中止になりました。それから、この医師の信頼はなくなってしまいました。休みの日も山登りまで付き合いながら関係を作ってきた医師だったのですが、顔すら合わせてもらえなくなりました。この医師の対応は仕方ないことだと思います。

医師にとっても手術の約束をした患者とご家族に物品の手配という初歩的なミスで手術を中止しなければならなかったわけです。1度の失敗ですべてがおしまいになるのはどのお仕事でも同じかと思います。私の場合は、その当時、鬱になっていたのと、油断していたことがありました。

鬱になったらどうしますか?

鬱になったときは自分で回復するのは難しいです。それはまるで私の中にあるブラックホールが色んな明るい話題を吸い込みながら、周りには暗黒のX線を放射して、更にどんどん巨大化しているのに似ています。自分だけでは止めることができない場合が多いです。周りのひとからの一声や、もっと大きな周りからの関わりが必要になります。

当時栃木にいた私の場合は、社長が新宿にある「本社に来なさい」と言ってくれたたことが、回復につながりました。鬱になったときの回復法のひとつは環境を変えることです。いじめの構図ともよく似ています。

いじめの構図とは

いじめっ子もいじめられっ子も悪くない、といわれることもあります。喧嘩両成敗、仲直りして握手しましょう。小学校でそのように指導された時代に私はそだちました。今になって思えば、会社の中で集団いじめにあっていたから、鬱になったのだと思います。その経験からいじめってなんだろうと調べ始めました。

今の小学校・中学校では、いじめっ子は加害者でいじめられっ子は被害者です。なるべく外部の専門家、保健室だけではなくて、スクールカウンセラーや必要なら、親、近所のひと、警察、にも支援をお願いします。喧嘩両成敗はしません。もしもいじめがあれば、なるべく両者を引き離します。仲直りしない場合もあります。いじめの原因がいじめっ子の「いらいら」や「そわそわ」だからです。

社会的には「いらいら」や「そわそわ」を取り除くことがいじめを無くすことになるといわれています。たとえば、満員電車のなかで痴漢が繰り返されているのも同じ理由です。学校で言えば「窮屈」「集団」「つめこみ」ではなく、「他人を受け入れるダイバーシティ」そのために「地域のいろんな会社や組織と子どもたちが交流する透明な学校」「授業やいやな人が居たらそのクラスから逃げることができる自由」が、必要なのかもしれません。

単身赴任の経緯

私の場合は、社長のひとことで現場から逃げることができました。そのとき、理由は聞かれませんでした。なにがあった?とか、どうしてそうなったんだ?とか。その代わりに、「本社に来てもらいたい、あなたの希望はどうなんだ?」のひとことでした。

もちろん、ここで「そうします」と、最後の力を振り絞って答えました。それなので逃げ出すことができました。ですが、こういう状況のときでさえ鬱になっていると「いいえ、大丈夫です、栃木でがんばります」と、言ってしまいそうになる自分もいたのは確かです。

新宿に築50年のレンガ作りマンションがあって、そこが社長の創業の地でした。昔の会社があったその場所を間借りして、会社まで徒歩たったの10分の単身赴任生活がスタートしました。

単身赴任生活

そのマンションは、角部屋のワンルームでした。広さは4畳半のアパートなら4部屋くらい入りそうな大きさでした。誰が買ってきたのかわからない革張りのソファーベットが1つありました。窓は広く、カーテンはありませんでした。ユニットバスは配管が詰まっていました。家賃は4万円にまけてもらえました。栃木には家内と次男が住んでいて、さいたまには長男が通学のためにマンションを構えていました。新宿のマンションは広かったのですが、財布の中は寂しい状態でした。

その部屋を自分好みに模様替えした経験で、「自由にやって良いときに私は何をするか」が理解できました。

単身生活者に必要なものは多くない
  • 電子レンジがあったので小型2層式洗濯機を購入、弟が炊飯器をくれた
  • テレビなしパソコンなし、ラジオだけ
  • カーテンは買わなかった、電気を10 Aに変えてみた、雑草を育て始めた
  • 週末は外出して、博物館めぐりした

日の出前には起床して、6時30分からのラジオ体操を少し踊って、洗濯物の処理と夕飯用の炊飯器セットして、他にやることないから7時半には早朝出勤。夜9時位まで、会社で存在感をだしてそれ以上は早起きできなくなるのでさっさと帰ってご飯食べて寝る。他の社員は23時になっても居残っています。埼玉県北部でカフェを始めた友達がいて、週末はそのカフェの手伝いをしてまかない料理をたべさせてもらっていました。

家族の話

家族の話をほとんどしていないので、ここでまとめてお話します。妻と長男27歳、次男25歳がいます。鬱になった頃の話で、妻との関係は最悪でした。今になって思うに、自分はがんばっているんだから、家族にももっとがんばれみたいな、過剰な期待をしていたんだと思います。そのころのことを、10年以上経った今になって、ひとつずつおもいだしながら、ときどき

何年経っても後悔するものです
  • あー、あのとき自分はあんなことをいってしまったんだ〜、
  • わるいことしたよなぁ〜、わるかったな〜
  • なんであんなことしちゃったんだろうなあ

と、思うことがあります。

当時は、「洗濯機と冷蔵庫を買い替えたから今月はお金がない、カードは使わないで」とかいわれて「なんで、そんなことが?出張行くときの新幹線代払えないってどういうコト?」とか思っていました。「自転車がほしい」といわれて買いに行った自転車が妻には大きすぎて乗れない。「なんで乗らないの?」みたいなことを言ってました。

自分がやったことは、万事、間違いがないと思っていました。「高いものを低くし、へりくだるものを高みに上げてくださる」という聖書の言葉があります。「土曜日くらい休ませて欲しいのに、子どもと公園に行ってこいってどういうことだ?」と思ったりしていました。

考えてみれば、当時よりも今のほうが土曜日も日曜日もないくらい忙しいです。あのころ子どもたちと「だんご3兄弟」の歌を歌いながら、凍てつく小学校の校庭で遊んだ数回の経験が、かけがえのない思い出になっています。「あのとき、なんで、あんな心のない返事をしてしまったのか」後悔を伴いながら。

家族への償い

これも、あまりお話したくないのですが、この話がないと、今の自分はどうしてこんなことをしているのか?説明できなくなるので、一言入れさせていただきます。単身赴任しているときに、長男は大学生になり、次男は潰瘍性大腸炎になりました。そして栃木県の下都賀総合病院に長期入院。なんとか、退院できたのは次男が高校を卒業する直前です。

卒業式には妻から「次男が卒業するよ」と連絡があって「ということは卒業式に参加して祝ってあげて良いのだな」と思いながら、何ヶ月ぶりの帰宅をします。そういうときに妻は、まだ単身赴任にしておくか、同居してもいいか、観察していたのかもしれません。

次男の卒業式の前後に家族からいろんな質問がありました。「高校で使っていた自転車を買い取るか高校に返却するか」そんなの、どっちでもいいと思いました。妻は私がどのような返事をするか、よく観察していたのだと思います。なにを観察していたかというと、私の答えがどうだったかということではなくて、答えに至るまでの家族との会話だったのでしょう。

次男を思いやっていたのか、形だけではなく妻のことを心から思いやっていたか。単身赴任で苦労しているのは私だけでなく家族もそうだとわかっているのか?ということに、さらに10年経ってから私は気付くわけですが、そう気づいたときから償いが始まります。

家族と仲良くやっていくコツ
  • なにかにつけて、こえがけする
  • ありがとうという
  • 距離を保つ

この3点ですが、どれも難しかったです。喋ること自体が怖かったので、おはようというだけでも、前の晩から「明日こそはおはようといおう」と思っていました。ありがとう、も、自分ががんばっているんだからと思っていると、ありがとうといわれるのがホントでなんで自分がとおもってしまいます。かといって、口先だけのありがとうだったら、かえって逆効果かもしれません。

いまは、御飯食べるときも「いただきます、あ、おいしそうだ、ありがとうございます」「ごちそうさま、さきにいただいてありがとうございます」みたいな、ある意味まいかいなので口先だけになっているかもしれませんが、お洗濯でも、お掃除でもありがとうをつけています。

これにも練習が必要で、事前にコンビニで買い物するときなど家族以外の人に「ありがとう」をいう癖をつけて、やっと家族にありがとうといえるようになりました。最後に距離を保つことですが、家族だと親しいから距離を縮めるのが定石だとおもいます。ですが、これまで自分が失敗してきたことを分析し、また、いじめの構図について学んできたことを結集してみると、やはり「距離が近すぎる」「いやなときに逃げ場がない」ことが原因だと思いました。

しかも、知らず識らずに、家族に頼り、期待していた自分ですので、let it goのような気持ちになることが大切かと思ったのです。

let it go
  • かごの中に入れて執着するのではなくて、羽ばたく鳥たちを楽しむ
  • 行き先をいわずに外出して帰ってこなくても、あわてない
  • 土日はなるべく外出、もちろん定年退職後も外出するつもり

なので、終活ガイドの仕事を頑張っています。

再び医療機器の会社へ

「新宿の本社に来なさい」と言ってくれた社長の息子さんが社長をしている現在の会社に出向した後、転籍となりました。最初の会社は医療機器販売代理店業で、転籍した先は、医療機器製造業です。簡単に言うと、最初はディーラー、次はメーカの営業マンになったのですが、もう少しわかりやすくいうと、最初はドラッグストアのマツモトキヨシで、今は、バンドエイドを作っている会社、のような違いがあります。

息子さんの代になっている会社で、社長の世代が若返ったおかげで、社風は大きく変わりました。

社風の若返り
  1. 医療という規制に守られているからこその業界を強く認識
  2. そのうえで、保守(既得権や地盤を守る)ではなく、革新(外に打って出る)
  3. 医療以外へ・世界へ

たとえば

具体的な若返り
  • 「〇〇くん」と呼ばれていたのが社長も含めて「〇〇さん」
  • 提案も自由だが、実現まで持っていかなければ、OKもらっていても何も意味がない
  • 訪問してなんぼの世界ではあるが効率化もあり

これは、今いる会社の感想です。6年目にして、わかってきました。もともと、心臓外科への製品が中心でしたが、横隔膜ペースメーカーもはじめました。世界では2000例のひとが恩恵を受けていますが、日本では3年前に始まって、まだ5例だけです。人工呼吸器から離脱できる可能性があり、ご家族の負担を減らせるかもしれません。

ボランティアというすばらしい活動

この製品、どう考えても「売れていない」ですよね。海外で使っているので売れるはずなんですが。このような仕事で会社が儲かっていないのはご察しのとおりです。このような儲からない仕事を中心に据えている会社って、普通の投資家だったら投資し無いと思います。たまたま、売れていないだけではありますが、普通でしたら社員のやる気はダダ下がりだと思います。

こういうとき、営業マンだったらどうするかと言いますと、

営業とボランティの似ているところ
  1. 仲のいい医師に製品の素晴らしさを説明して
  2. どうやったら流行るか相談して
  3. 仲のいい医師といっしょに、がんばる

のじゃないかと思っています。で、先月から、その活動を栃木県で行ってきました。どうしたことか、「お金儲けじゃない」「ボランティアらしい」というお話には、世の中飛びついてきます。

ボランティアとの出会い

私が本格的なボランティアと出会ったのは、カナダのラルシュ共同体で住み込みボランティアしたときです。大学で社会福祉の勉強をしていたときに教室での勉強に興味がなくなってしまって、どこかで体を動かしてみたいと思ったのでした。ラルシュは知的障害のある大人たちのグループホームで、フランス・トローリに本部があります。ジョンバニエというひとが創始者で、世界中にコミュニティがあります。

最初、カナダ東部のビクトリアについたときリチャードという24歳の先輩が飛行場まで迎えに来てくれました。リチャードはなまけものでした。ですが、私に人生の大切な教訓を教えてくれました。「なんでも自分でやることはない、他の人にも役割を残しておけ。」掃除・お料理・デイサービスへのお迎え・病院への付き添い・ゴミ出し・庭仕事、いろいろありました。

当時は、ビクトリア・ラルシュに30歳の岩滝明子さんもいました。彼女は英語ペラペラなうえに、英語の手話通訳もしていました。明子さんの友達で、ソルトスプリングアイランドに住んでいる日本人のヒロミさんの家へ連れていってもらったこともありました。たまに日本語のおしゃべりも楽しみでした。先日、ラルシュバンクーバーを検索したら、岩滝明子さんの名前がありました。生きていていらっしゃって嬉しいです。

ビクトリアに2年弱住んでいました。大学を卒業するために帰国するころ、私は事件を起こしました。デビットハウという人が怒って家から逃走、みんなで探し回るという事件でした。原因はいやがらせのように部屋の掃除をしてしまった自分です。このときに、教訓として学んでおけば、残りの人生を苦しまなくてよかったのに、学んで置かなかったので、同じような失敗を自分の家族にしてしまっています。

一生涯できるL’ARCHEでのボランティア

ボランティアといっても、有償ボランティアです。住み込みで朝食の準備をし、コアメンバーがデイサービスに通う手伝いをして、帰ってくるまでは少し暇。休んでいるメンバーがいれば診察に同行したり、そうでなければ、買い出しや片付けのような仕事。夕方から夕食の準備をして、いっしょにレクレーションしたり、映画を見に行ったり。

お風呂が終わったら就寝準備。夜中に発作で起こされることもしばしばでしたが、子どもたちだと思えば、何でもできてしまう気がします。でも、私が滞在したときは、二十歳くらいだったので自分中心でしか考えられなかったです。その時の経験もあって、なのですが、

お祈りの意味とは

現在、私は毎朝お祈りをしてでかけます。

お祈りの内容
  • 神様、私に油を注いでくださって感謝いたします
  • いってはいけないことをいわず、いわなければならないことを言えますように
  • 神様の栄光が私を通して世の中にあふれていきますよう
  • じゅんとあきしげとのりことみなこと・・・おしかわさんとおきやまさとるのごかぞくをおまもりください
  • ゆうわくにおちいらせずあくからおくすいください

すべて、かなえられています。まだ妻との関係や家族との関係は微妙ですが、うまくいっていると信じています。誘惑にしょっちゅう出会っていますが、ある程度、悪から遠ざかっていることができていると思います。

地理の時間に

そういえば、高校生の時なので40年近く前ですが、地理の時間に先生が「君たち、ハワイに行きたいやつはおるか?」(ひろしまだったので、いるか?とはいわず、おるか?)と、質問があったので私も含めて殆どの生徒が手を上げました。そしたら、その地理の先生がニコニコしながらいわれました。「そうじゃろ、そうじゃろ、みんな、よかったのぉ、よろこべ、みんなハワイに歩いていけようになるぞ、ハワイはの、1年に数cmずつ西に移動しとるんじゃ。」

これが、私のいたミッションスクールでの教育でした。地理の先生は冗談でいったのだと思いますが、私は後に、神様を信じるってそういうことなんだなと思いました。いつかは、願いが叶うのは本当なのです。それが、何万年かかろうとも。だから、実現することだけを信じていればいいんです。

人間万事塞翁が馬

人間万事塞翁が馬というお話も同じことをいっています。英語では「グッドラック・バッドラック・who knows only time will tell」です。

時間だけは知っている。

「中国の北の方に占い上手な老人が住んでいました。さらに北には胡(こ)という異民族が住んでおり、国境には城塞がありました。ある時、その老人の馬が北の胡の国の方角に逃げていってしまいました。この辺の北の地方の馬は良い馬が多く、高く売れるので近所の人々は気の毒がって老人をなぐさめに行きました。

ところが老人は残念がっている様子もなく言いました。「このことが幸福にならないとも限らないよ。」そしてしばらく経ったある日、逃げ出した馬が胡の良い馬をたくさんつれて帰ってきました。そこで近所の人たちがお祝いを言いに行くと、老人は首を振って言いました。「このことが災いにならないとも限らないよ。」

しばらくすると、老人の息子がその馬から落ちて足の骨を折ってしまいました。近所の人たちがかわいそうに思ってなぐさめに行くと、老人は平然と言いました。「このことが幸福にならないとも限らないよ。」1年が経ったころ胡の異民族たちが城塞に襲撃してきました。城塞近くの若者はすべて戦いに行きました。そして、何とか胡人から守ることができましたが、その多くはその戦争で死んでしまいました。しかし、老人の息子は足を負傷していたので、戦いに行かずに済み、無事でした。

人生の目標について

みなさんは、人生の目標をお持ちですか?お持ちの方は、このようなミーティングに参加されていらっしゃらないかもしれません。目標に向かって、歩いていくだけでいいのですから。

人生の目標について
  • 人生の目標を持っている人と、持っていない人がいます
  • 毎日やることがある人と、毎日やることがなくて暇な人が居ます
  • 毎日やることが楽しい人と、仕事だから仕方ないと思っている人が居ます

何が言いたいのかというと、毎日やることがあれば、それに感謝して楽しめるように思考をチェンジしてほしいということです。そうすれば、いずれはこれこそが人生の目標だったんだと思えるようになると思います。

今回のお話をするまえに下打ち合わせした時、「遺骨から作るダイヤモンド面白そうですね」「医療機器なのになぜですか?」「おもしろい社長さんですね」とか、今回は話していない「卒業した後、実家の家業を継いだときのこと」も「ぜひ、聞きたいです」と、いってもらえました。

ですが、そのとき、その当時は、全力投球していましたが、人生に満足していませんでしたし、それをいまここで、笑い話として話せるようなことでもないと思っていました。やり続けたからこそ、あるときシフトチェンジがあった。自分はそう信じています。自分の努力で運を掴んだわけでもないし、そういう人と知り合えたわけでもありません。

今回は、自分の人生の最大公約集をお出ししました。恥ずかしい部分は、ほとんど割愛していますが。今回のお話が、おききになられていらっしゃる人の、なにかの足しになりますように。そう祈っております。

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