
はじめまして、ノブと申します(大内暢之なのでノブ)。このブログでは、クリスチャンでありながら、いっこうに神様が見えない私の、日々の生活の中でのささやかな発見をつづっています。
今回は、「もったいない」という、私たち日本人にとって美徳とされてきた言葉について、ふと立ち止まって考えてみたことをお話ししたいと思います。
「もったいない」の呪縛
先日、友人と食事をしたときのことです。テーブルに料理が少し残ってしまい、私は思わず「もったいないね」と言って、お腹いっぱいだったのですが、すべて平らげてしまいました。
食後、お腹が苦しくて後悔したのですが、そのとき、私の心にひとつの疑問が湧いてきました。
「もったいないから」という理由で、自分の体の声を聞かず、無理をして食べる。これは本当に良いことなのだろうか?
思い返せば、私の母もそうでした。「せっかくだから」「もったいないから」と言って、家族が食べきれないほど料理を作っては、無理やりみんなで消費しようとしました。
スーパーで安売りシールが貼ってあると、必要のないものでも「もったいないから」と、ついついカゴに入れてしまう。これもまた、「もったいない」という言葉が引き起こす行動ではないでしょうか。
私たちは、「もったいない」を良いことだと信じて疑いません。でも、本当にそうでしょうか?
「もったいない」という言葉の裏側には、
- 「今買わないと損をする」
- 「捨てたら悪い」
- 「この機会を逃したら二度と手に入らない」
といった、どこか損得勘定や焦りの気持ちが隠れているような気がします。
神様がくださる「ちょうどいい」という恵み
神様は、私たちに「ちょうどいい」ものを与えてくださる方だと、私は信じています。
必要な分だけ、必要なときに。それが神様からの恵みです。
でも、「もったいない」という気持ちにとらわれていると、その恵みが見えなくなってしまうことがあります。
例えば、ミニマリストに憧れる私は、衝動的に何かを欲しくなったとき、すぐに買わずに、数日間、あるいは数週間、じっくりと考えるようにしています。
「もしこれを手に入れたら、私の生活はどう変わるだろう?」
そうやって空想してみると、不思議なことに、たいていは「なくてもいいか」という気持ちになるものです。
※もちろん、たまには衝動買いして失敗することもあります
それは、「今しかない」という焦りや、「もったいない」という損得勘定から解放されて、本当に自分に必要なものを見極める時間です。
この「考える時間」は、「せっかくだから買っておこう」「もったいないから捨てられない」という気持ちに対抗する、私なりの知恵なのかもしれません。
※「何時間も考えるだけもったいない」という考え方もあります。
溜め込んでしまうクセ
私の兄弟の一人(私以外の3人兄弟のうち、誰とは特定しません)が、昨日言っていました。
「買うと高いんだけど、待っていると大概のものが手に入る」
「電子レンジも、このエアコンも……」
この兄弟のひとりというのは、古民家再生をすることで古い建物を民泊やカフェに改造しているツワモノです。
彼の言葉を聞いたときは私も「それはやってみたいな」とか「私だったら、もっと集まるかもしれない」と、思ったものです。
「古民家を手に入れるとそういうお恵みにあづかれるのだろう」
とも思いました。しかし、しかし、
もったいないことかもしれませんが、「いやいや、自分は、その場に呼ばれていない」と3分考えて諦めました。せっかくの話だったのですが。
こういう、もったいないのかもったいなくないのか、ちょっと考えただけではわからないことも世の中にも沢山存在します。
私の場合も、その他にこんな例もあります。
- ダウンロードし放題
らじるらじるの音源をダウンロードできるアプリがあって、ダウンロードした落語やら朗読を仕事中に聞いています。欲張って、消費しきれない時間分のダウンロードをついついしてしまいますが、これはせっかくだからという気持ちからです。 - スーパーの値引きシール
母の場合と書きましたが、私の場合もそうなのです。値引きシールが貼ってあったら無条件に欲しくなります。泣 - 図書館
無料で手に入るものの代表格、図書館ですが、読む時間もないのに借りて帰ることがよくあります。翌週そのまま返すだけなのですが。 - 頂いたQUOカード
クオカードを使えるところが減っていますが、先日頂いたクオカードをコンビニへ行くたびに使っています。現金だったら買わないだろう菓子パンやペットボトル飲料を買ってしまいます。
究極の「もったいない」
「もったいない」という言葉は、お金や物だけでなく、人生のあらゆる場面で顔を出します。
「せっかくだから、この習い事をやめないでもっと続けよう」
「今なら値上がり確実な株があるから、このチャンスを逃すのはもったいない」
そうやって、自分の心や時間、お金を、本当に大切にすべきものから遠ざけてしまうことがあります。
「もったいないから」と、自分の心に嘘をついて、人との付き合いを続けてしまう。
「せっかくだから」と、不必要なものに時間や労力を費やしてしまう。
そうして、本当に大切なものが何か、見失ってしまう。それが、究極の「もったいない」ではないでしょうか。
「もったいない」が私を神様から遠ざけていたのかもしれない
「もったいない」という言葉は、一見、ものを大切にする美徳のように思えます。しかし、その言葉に囚われるあまり、本当に大切なものを見失ってしまうことがあります。
それは、自分の心、健康、そして、私にとっての神様です。
神様は、私たちの必要をすべてご存知で、いつも「ちょうどいい」ものを与えてくださいます。
「もったいないから」と、無理に何かを抱え込む必要はありません。
大切なのは、今、この瞬間に与えられている恵みに感謝し、本当に大切なものは何か、問いかけ続けること。
私は、神様が与えてくださる恵みを信じ、必要のないものは手放す勇気を持つことで、心穏やかに生きられるようになりました。
あなたにとって、人生で一番大切なものは何ですか?
「もったいない」という言葉から、少し離れて、じっくりと考えてみる時間を持ってみませんか。
※結局、「もったいないから」自分の人生を無駄遣いしないように、という思考に入ることになりそうですが、そうならないようにするために、ここで「神様」に登場してもらうことになります。その話については追々お伝えします。