2025年8月6日、午前8時15分。広島市南区に、今年もサイレンが鳴り響きました。その短い時間、多くの人が手を合わせ、黙祷を捧げたことでしょう。私も、この静かで暑い朝に、79年前(※80年目のことです)の惨劇に思いを馳せ、涙がこぼれました(※涙もろくなっただけの私かも)。1945年7月(原爆投下のわずか1ヶ月前)に行われた世界初の核実験の名前はトリニティ実験というそうです。どうして、三位一体(トリニティ)と、名前がつけられたのでしょう。ひどい話です。
広島は「希望」を創り上げた

湯崎知事の挨拶は、心を揺さぶるものでした。彼は、核抑止論が前提とする「人間の合理的判断」が、歴史の中でいかに脆いものだったかを訴えかけました。そして、グテーレス国連事務総長のメッセージもまた、深く心に響くものでした。
「原爆投下後、広島はもはや再建不可能な街だと思われていました。しかし、広島の人々はみごとに復興を成し遂げました。皆様は、ただ再び街を創り上げたのではありません。再び希望を創り上げたのです。核兵器のない世界という希望を育み、それを世界中と共有しました。」
広島は単なる復興を超え、「核兵器のない世界」という希望を私たちに示してくれました。今年5月、国連本部に植樹された被爆樹の苗木は、人類の不屈の強靭さと、未来の世代を守る責任の象徴です。
国破れて山河あり。
かつては抑止が破られ国が荒廃しても、再建の礎は残っていました。
国守りて山河なし。
もし核による抑止が、歴史が証明するようにいつか破られて核戦争になれば、人類も地球も再生不能な惨禍に見舞われます。概念としての国家は守るが、国土も国民も復興不能な結末が有りうる安全保障に、どんな意味あるのでしょう。【全文】知事あいさつ「核兵器廃絶という光に向けて這い進む」
核抑止論を超えて
知事の言葉には、核抑止論への鋭い問いかけがありました。核戦争が起きれば、国も山河も再建不可能になる。そんな安全保障に、一体どんな意味があるのだろうか、と。
たしかに、そうですね。
抑止力とは、武力の均衡だけではありません。外交やソフトパワーを含む、より広い概念であるべきです。私たちは、核抑止の維持に投入される莫大な資金を、核のない新たな安全保障の構築にこそ集中させるべきではないでしょうか。
戦争に対する抑止力は、核抑止力とは違って、もっと広範囲な概念だったのです。
北極星ではない、現実の目標
石破首相は、追悼の辞で「原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑」に刻まれた正田篠枝さんの歌を引用されました。
「太き骨は先生ならむ そのそばに 小さきあたまの骨 あつまれり」
(この光景は、想像するだけで身につまされます)
この歌が示すように、核兵器廃絶は決して遠い理想ではありません。瓦礫の中で一筋の光に向かって這い進み、生を掴んだ被爆者のように、実現しなければならない現実的で具体的な目標なのです。
静かで暑い夏の広島で、サイレンが鳴った一瞬。私は、その重い音に耳を傾け、改めて平和への誓いを新たにしたいと思いました。
広島の静かな朝、サイレンが鳴り響く時
私は、思わず涙しました。
お墓の上で平和に暮らしているような気持ちにもなりました(申し訳ない気持ちです)。
広島市役所も県庁も福祉センターも区役所も図書館もお休みでした。多くの人が平和公園に集結し、夜には灯籠流しが行われました。日本全国から沢山の方がいらっしゃいました。いや、世界中から。
今日は長崎の原爆祈念日(2025年8月9日)。
神様、どうして戦争はあるのでしょう? あぁ、そうだったのですね、私の心のなかにもある悪が集まるとこうなってしまうのですね……。