長文になってしまいますが、小説をどうぞ。
たみ27歳。

IT企業に勤めるタダシは2歳下。私たちはいわゆる「事実婚」状態だった。正確には、私がそうしたかっただけかもしれない。彼は結婚に対してあまりにも無頓着で、私だけが焦っていたような気がする。
タダシは、就職時に買ったというスーツをいつまでも着ていた。見るからにヨレヨレで、彼の年齢をはるかに超えたおじさん臭を漂わせている。会社ではどんな目で見られているんだろう。会社の同僚と話すとき、彼のスーツが恥ずかしくて、思わず目を逸らしたくなることが何度かあった。
「ねぇ、タダシ。そろそろスーツ、買い替えようよ」
ある日、私が切り出すと、彼は案の定「いらない」とぶっきらぼうに答えた。彼の服装に対する無関心さは、もはや一種の才能とすら言えるレベルだった。でも、このままではいけない。彼のためにも、私のプライドのためにも。私は決意した。彼の外見は、私にとっての投資なのだ。
幸い、私の高校時代の同級生がスーツ専門店に就職していた。彼女に連絡を取り、半ば強引にタダシを連れて店を訪れた。彼は不満そうに腕を組み、店に入った瞬間から早くも帰りたいオーラを放っていた。
「いらっしゃいませー!」
同級生は、プロの笑顔で私たちを迎えてくれた。彼女は私の意図を察してくれたのか、タダシに似合いそうなスーツを次々と選んでくれた。私自身、男性のスーツの良し悪しなんてさっぱり分からないけれど、同級生が勧めるものはどれも洗練されていて、見ているだけでも気分が上がる。
タダシは渋々試着室へ。数分後、出てきた彼を見て私は息を呑んだ。
「すごい…!」
今まで見てきた彼とはまるで別人だった。肩幅もぴったりで、ウエストラインも綺麗に出ている。まるで生まれ変わったようだ。これぞ投資の醍醐味! 彼の戸惑ったような表情も、どこか新鮮に見えた。
しかし、彼は私が良いと思ったスーツには見向きもせず、妙にダボっとした、昔の彼のようなスーツばかりを選んで試着する。そして、どれがいいか悩んでいる。信じられない。
「こっちの方がいいってば!」
思わず口調が強くなる。同級生も苦笑しながら、私の意見にそっと賛同してくれた。最終的に、私が選んだ3着のスーツと、それに合うネクタイを5本選んだ。もちろん、支払いはおごった。彼への投資なのだから、惜しむ理由はない。
これで彼が会社に行っても恥ずかしくはないだろう。そう安心したのも束の間だった。
週末に彼と会うと、彼のファッションセンスは相変わらず壊滅的だった。夏なのに冬服のような厚手のジャケットを羽織っていたり、冬なのに半袖だったりする。せっかく買ったスーツも、ちゃんと着ているのか不安になった。彼はスーツを着こなすというより、スーツに「着られている」という表現がしっくりきた。
「もっとおしゃれに気を遣ってほしい」
心の中で何千回もそう思った。これはもう、結婚して彼の生活に介入するしかないのではないか。彼の意識を変えるには、一緒に暮らすしかない。そう確信した。
結婚する前に、彼の家に上がり込んでみた。彼の食生活がどんなものなのか、私の料理が彼の口に合うのかを試すためだ。休日の夕食を一緒に食べる。私の手料理を美味しそうに食べてくれる彼の姿を見て、少しずつ未来が明るく見えてきた。もちろん、お泊まりはしなかった。これはあくまで「偵察」なのだ。
彼の住処がどんな散らかりようなのかもチェックした。部屋の鍵をもらっていたので、彼が仕事の日を狙って、昼間に抜き打ちチェックをした。
「…何もない」
それが率直な感想だった。家具も少なく、生活感がない。ある意味、散らかりようがない部屋だった。それでも、私が来たことを暗に示すように、玄関の靴をきちんと揃えておいたり、タオルや歯ブラシを新しくしておいた。私がいないときに彼が気付いてくれるといい。彼が気づいたときのことを想像するだけで、私の心は温かくなった。
彼を変えたい。もっと素敵な男性になってほしい。彼を変えたい。もっと素敵な男性になってほしい。その気持ちは、彼への愛情と同じくらい大きかった。そして、私はその「投資」を惜しむつもりはなかった。
たみ28歳。
タダシは2歳年下だから当時26歳。私たちは同棲してまだ間もない、お付き合いを始めたばかりの頃だった。
彼の実家は、北国の名峰、岩木山の麓に広がる、豊かな自然に抱かれた土地だった。その日は、彼の実家を訪ねるというわけではなかったのだが、県内の温泉宿に招待されたのだ。一体誰からの招待なのか、詳しいことは知らされないまま、私はタダシと、そして彼の両親と共に、一台の車に揺られていた。
タダシの父は市役所の職員、いわゆる公務員だった。私の父はスーパーの青果売り場を任されており、どこか地元の顔役のような存在だった。父の明るく豪快な性格と、タダシの父の控えめで物静かな雰囲気との間に、私はささやかなギャップを感じていた。私の母は小学校の教員で、子どもの頃から常に「先生の娘さん」として見られてきた。一方、タダシの母は専業主婦だと聞いていた。そのことにも、ほんの少しだけ、見えない壁を感じていた。
温泉宿に着くと、案内されたのは広々とした畳の部屋だった。そこに集められたのは、私とタダシ、そしてタダシの両親の四人。特に何をすることもなく、ただただ同じ空間でくつろいだ。テレビもない。娯楽らしきものもない。私は手持ち無沙汰に、ただ座っているしかなかった。タダシは私に気を遣ってか、時折話しかけてくれたが、彼の父が同じ部屋にいると思うと、どうにも居心地が悪かった。息が詰まるような、窮屈な感覚に襲われた。
夕食の時間が来て、ようやく部屋を出ることができた。食堂は広々としていて、開放感があった。そこで私は、ようやくホッと一息つくことができた。食卓を囲んで、私たちは当たり障りのない会話を交わした。タダシの父は仕事の話を少しだけし、母は温泉地の土産物の話を楽しそうにしていた。私は相槌を打ちながら、早くこの時間が終わらないかと密かに願っていた。
夕食後、温泉に入ることになった。タダシの母が「一緒に行きましょう」と私を誘った。断る理由もなく、私は言われるがままに温泉へと向かった。脱衣所で着物を脱ぎ、湯船に浸かる。しかし、隣にはタダシの母がいる。私は緊張で、湯船の中で身動き一つ取れなかった。何か話さなければいけない、そう思うのに、言葉が出てこない。タダシの母も、特に話しかけてくることもなく、ただ静かに湯に浸かっていた。その沈黙が、私には重くのしかかった。
部屋に戻ると、もう九時を過ぎていた。一日の疲れがどっと押し寄せ、私はすぐに布団に入った。部屋の明かりが落とされ、静寂が訪れる。隣にはタダシが寝ているはずだが、意識はもう朦朧としていた。緊張と疲労で、私はあっという間に眠りに落ちた。
翌朝、朝食を済ませ、チェックアウトの手続きを終えた。そして、どこへ行くでもなく、そのまま解散となった。私は、バス停に向かうタダシの両親の姿を、ただ見送っていた。別れの挨拶を交わす時、私は精一杯笑顔を作ったつもりだったが、心の中は張り詰めた糸が切れたように、虚ろだった。
両親の姿が見えなくなり、タダシと二人きりになった途端、私の目から涙が溢れ出した。止まらなかった。まるでダムが決壊したかのように、とめどなく涙が溢れてきた。嗚咽が漏れ、呼吸が苦しくなる。タダシは驚いたように私の背中をさすり、「どうしたんだ、たみ」と心配そうに問いかけた。私はただ首を横に振るばかりで、何も答えることができなかった。きっと、あれは極度の緊張から一気に解放された反動だったのだろう。見知らぬ土地、慣れない環境、そして彼の両親とのぎこちない時間。すべてが私にとっては、張り詰めた糸のように感じられたのだ。
あれから、もう三十年以上もの歳月が流れた。あの日の記憶は、今でも鮮明に私の心に残っている。しかし、私はそれ以来、彼の両親が住むあの実家には一度も足を踏み入れていない。私たちの結婚式にも、彼の両親を呼ばなかった。あの日のような、言いようのない悲しみを再び味わうかもしれないと思うと、彼らを呼ぶことができなかった。
子どもたちにも、彼の実家を訪れる機会を作ることはなかった。彼らが、私と同じような悲しみや、居心地の悪さを感じるのではないかと思ったからだ。それは、親としての私の、ある種の優しさだったのかもしれない。それとも、単なる逃避だったのだろうか。
これでよかったのかどうか、今でも自問自答することがある。親不孝だと言われるかもしれない。でも、私はこの選択が間違っていたとは思えないのだ。彼の両親とは、これからも会うことはないだろうと信じている。それは、私にとって、あの日の傷を深くすることなく、今の平穏な日々を守るための、唯一の方法だからだ。
時が経ち私には、タダシとの間には二人の子どもがいる。長男は、先日、素敵な女性と結婚した。次男も、自分の夢を追いかけている。子どもたちは、私が経験したようなぎこちない時間を、彼らの義理の両親との間で過ごすことはない。そう思うと、少しだけ、心が軽くなったことを覚えている。
あの日の温泉宿での出来事は、私の人生において、ある種の転換点だったのかもしれない。それは、結婚という新たな生活の中で、私が自分自身を守るための、小さな決断だった。そして、その決断が、私の人生の選択に、深く影響を与え続けている。今も、これからも。
そう。あれから、もう三十年以上もの歳月が流れていた。何度も書くが、あの日の記憶は、今でも鮮明に私の心に残っている。
彼の両親が住むあの実家には一度も足を踏み入れていない。私たちの結婚式にも、彼の両親を呼ばなかった。あの日のような、言いようのない悲しみを再び味わうかもしれないと思うと、彼らを呼ぶことができなかった。それは、私自身の心の防衛だった。
子どもたちにも、彼の実家を訪れる機会を作ることはなかった。彼らが、私と同じような悲しみや、居心地の悪さを感じるのではないかと思ったからだ。それは、親としての私の、ある種の優しさだったのかもしれない。愛する我が子に、あの時の私と同じような思いをさせたくなかった。それとも、単なる逃避だったのだろうか。自分の傷から目を背け、関係を断ち切っただけなのかもしれない。
これでよかったのかどうか、今でも自問自答することがある。親不孝だと言われるかもしれない。だが、私はこの選択が間違っていたとは思えないのだ。彼の両親とは、これからも会うことはないだろうと信じている。それは、私にとって、あの日の傷を深くすることなく、今の平穏な日々を守るための、唯一の方法だからだ。
子どもたちは、私が経験したようなぎこちない時間を過ごすことはない。そう思うと、少しだけ、私の心も軽くなる。
あの日の温泉宿での出来事は、私の人生において、ある種の転換点だったのかもしれない。それは、結婚という新たな生活の中で、私が自分自身を守るための、小さな決断だった。そして、その決断が、私の人生の選択に、深く影響を与え続けている。今も、これからも。あの涙が、私の人生の道を決定づけたのだ。
たみ29歳。
小雨がしとしとと降る、梅雨の合間の日曜日だった。私は人生の大きな節目を迎えようとしていた。結婚。その二文字が、私を期待と不安の狭間で揺れていた。隣には、タダシが座っている。今日、私たちは私の実家へ、結婚の挨拶に赴くのだ。
私の実家は清水市にあった。
実家に向かう電車の中で、私は何度も深呼吸を繰り返した。父を納得させる方が難しいだろう、漠然とそう思っていた。亭主関白な父は、私が選んだ相手に対して厳しい目を向けるに違いない。しかし、それ以上に、母の視線の方が、私には重く感じられていた。表向きは私の味方をしてくれるだろう。けれど、内心ではきっと、タダシを吟味し、反対する材料を探しているに違いない。そんな予感が、私の胸の奥に澱のように溜まっていた。
実家の最寄りの駅からタクシーに乗り込むと、見慣れた住宅街の景色が窓の外を流れていく。心臓の音が、少しずつ大きくなっていくのを感じた。そして、慣れ親しんだ我が家の玄関が見えた時、私はごくりと唾を飲み込んだ。
チャイムを鳴らすと、すぐに母が出てきた。いつものように優しい笑顔で「よく来たわね」と私たちを迎え入れてくれる。父は、リビングで新聞を読んでいた。私たちが部屋に入ると、新聞をたたみ、無言で私たちの方を見た。その視線に、私は背筋が伸びる思いがした。
昼前に始まった挨拶は、思ったよりも和やかに進んだ。父は、タダシの仕事や家族構成についていくつか質問をしたが、それもごく一般的な内容だった。タダシも、緊張しながらも真摯に答えている。母は、相槌を打ちながら、時折私に目配せを送っていた。その目は、「これでいいの?」と問いかけているようにも、「頑張りなさい」と励ましているようにも見えた。
昼食は、母が腕によりをかけた手料理が並んだ。食卓には、煮物、焼き魚、茶碗蒸し。どれも私が小さい頃から食べ慣れた、懐かしい味だ。母は「大したものじゃないけど」と言いながらも、私たちが料理を口にするたびに嬉しそうにしていた。
食事が終わると、リビングでのおしゃべりの時間になった。母が淹れてくれた、香りの良いコーヒーと紅茶。私は紅茶を選び、タダシはコーヒーを頼んだ。母はニコニコしながら、あれやこれやと話題を出し、話をつないでいた。幼い頃の私のエピソードや、学生時代の思い出話。そんな話を聞きながら、タダシも少しずつ打ち解けてきたようだった。時折、冗談を言っては、父や母を笑わせていた。
その様子を見て、私は安堵した。これで、きっと大丈夫だろう。父も母も、タダシのことを気に入ってくれるに違いない。けれど、私の安心は、まだ早かった。
話が尽きることなく続き、時計の針はいつの間にか午後七時を指していた。ずいぶん長い時間、お邪魔してしまった。そろそろ帰る時間だと私が切り出そうとしたその時、母が穏やかな口調で言った。
「タダシさん、一つだけお聞きしてもいいかしら?」
その言葉に、私たちは思わず顔を見合わせた。何だろう。少し嫌な予感がした。
母は、それまでとは打って変わって真剣な表情で、タダシの仕事に対する考え方や、将来の展望について、深く踏み込んだ質問を始めた。それは、まるで面接のような、鋭い問いかけだった。私が知る母とは違う、有無を言わせぬ迫力があった。
タダシも、最初こそ戸惑っていたようだが、やがて真剣な表情で質問に答え始めた。彼の言葉は論理的で、誠実だった。けれど、母の表情は変わらない。彼女の質問は、さらに奥深くへと踏み込んでいく。彼の内面、価値観、そして私との関係性についてまで、深く掘り下げようとしているかのようだった。
その時、私は確信した。母は、最初からタダシのことを疑っていたのだ。表向きは私の味方をしていたけれど、内心では、私が選んだ相手が本当に私にふさわしいのか、見極めようとしていたのだ。そして、その判断材料を探し、今、それを突きつけている。
父は、その間、黙って私たちの様子を見守っていた。彼の表情からは、何も読み取ることができなかった。
ようやく、挨拶の時間が終わった。私たちは、長い一日を終え、実家を後にした。電車に揺られながら、私は疲労感と、言葉にならない複雑な感情に包まれていた。
数日後、母から電話がかかってきた。
「あのね、たみ。お母さん、やっぱり彼はお勧めしないわ」
予想通りの言葉だった。それでも、私の心には、鉛のようなものが沈んだ。母は、私が気づかないような彼の欠点や、将来への不安要素を、いくつも挙げていった。私を心配してのことだとは分かっていた。けれど、その言葉は、私の心を深く抉った。
父にも、後日改めて尋ねてみた。すると父は、あっさりと答えた。
「お前が好きなようにすればいい」
意外な言葉だった。父は、私に多くを語らなかった。けれど、その言葉の裏には、私の選択を尊重してくれる、父なりの愛情が込められているように感じられた。
結局、私は母の反対に耳を貸さなかった。
結婚した後、どうなるかなんて、誰にも分からない。結婚という選択が正しかったのか、間違っていたのか。それは、行けるところまで行ってみなければ、その景色は分からないだろう。そんな思いが、私の背中を押した。
私は、タダシと結婚した。
結婚生活は、静かに始まった。大きな喧嘩をすることもなく、お互いに裏切ることもなく、年月が流れていった。子どもも生まれ、家族が増えた。傍から見れば、私たちはごく普通の、幸せな家族に見えただろう。
けれど、心の奥底には、常に微かな違和感があった。それは、結婚前の母の言葉が、私の心のどこかに根付いていたのかもしれない。
タダシは、決して悪い夫ではなかった。仕事も真面目にこなし、家族を大切にしてくれた。子どもたちのことも可愛がってくれたし、家事も分担してくれた。けれど、どこか、彼との間に見えない壁があるように感じていた。彼の心の内が、私には見えないような気がしていた。彼は、いつも穏やかで、多くを語らない人だった。彼の沈黙は、私には時に、彼の心の扉が閉じられているように感じられた。
私自身も、彼の心の内を探ろうとすることを、いつの間にか諦めていたのかもしれない。衝突を避け、平穏を保つことを優先するようになった。
そして、結婚から三十年以上が経ち、私たちは今、静かな別居に身を置いている。
大きな喧嘩をしたわけではない。お互いを裏切ったわけでもない。ただ、ある日、彼が私に言ったのだ。「しばらく、一人になりたい」と。その言葉に、私は驚きながらも、なぜか納得してしまった自分がいた。
彼は家を出て、別の場所で暮らしている。週末には子どもたちに会いに来るし、連絡も取り合っている。世間的には「別居」という形だが、そこにはドロドロとした感情はない。まるで、最初からこうなることが決まっていたかのように、私たちはこの状況を受け入れている。
母のあの時の言葉が、今、私の心に蘇る。
「お母さん、やっぱり彼はお勧めしないわ」
あの時、母は、私には見えなかった彼の本質、あるいは、私たち二人の関係性の限界を、見抜いていたのかもしれない。
私は、あの時、自分の目で見て、自分の手で掴んだ「行けるところまで行かなければその景色はわからない」という信念に従った。そして、その景色が、今、ここにある。
この静かな別居が、私たちにとっての「終わり」なのか、それとも「新しい始まり」なのか。それは、まだ分からない。けれど、あの時、母の反対を押し切って結婚した私の選択は、間違いだったのだろうか。それとも、この景色を見るために、必要な道のりだったのだろうか。
雨上がりの空を見上げると、厚い雲の切れ間から、微かな光が差し込んでいた。
たみ30歳。
新居のベランダから見下ろす駐車場は、まだどこかよそよそしい。
真新しいアスファルトがまぶしくて、そこにぽっかり空いたスペースが、早くも新しい家族の到来を待っているかのように思えた。結婚して間もない私。タダシとの新生活は、なにもかもが新鮮で、そして、なにかと初めての決断に迫られる日々だった。その中でも、最も大きな決断の一つが、自家用車の購入だった。
結婚前、私は小さな軽自動車に乗っていた。鮮やかなスカイブルーで、どこへ行くにも一緒だった相棒だ。しかし、年式も古くなり、結婚の一昨年前に惜しまれつつも廃車にした。タダシは独身時代から車を持たない主義で、実家暮らしだったこともあり、特に不便を感じていなかったらしい。だから、私たちが新居に引っ越して初めて、車がない生活の不便さを痛感することになった。スーパーへの買い物、週末のちょっとした遠出、そして何より、新生活への期待が詰まったドライブ。すべてにおいて、車は必要不可欠な存在だと、すぐに気がついた。
車選びの旅路
「ねぇ、どんな車がいいかな?」
ある日の夕食後、私が切り出すと、タダシは腕組みをして考え込んだ。私はすでに頭の中にぼんやりと理想の車像を描いていた。CMで見たあの流線型のフォルム、あのCMソングの軽快なメロディ、あの色…。「私はね、CMでよく見るあの車がいいなぁ。赤とか、オレンジとか、明るい色がいい!」
私の言葉に、タダシは眉間にしわを寄せた。「CMの印象か。うーん、それはちょっと…」
私とタダシの間に、早くも車選びにおける価値観の乖離が見え始めた。私の判断基準は、直感的で感情的だ。見た目、色、そしてテレビコマーシャルの印象。一方、タダシは、徹底的に論理的で客観的であろうとする。燃費、安全性能、維持費、リセールバリュー…。彼の頭の中では、あらゆる数字が複雑な方程式となって計算されているのだろう。
週末、私たちは早速ディーラー巡りを始めた。トヨタ、日産、ホンダ、三菱。それぞれのショールームを訪れるたびに、私は目を輝かせた。ピカピカに磨かれた新車がずらりと並び、まるで未来の世界に迷い込んだようだ。
「わぁ、この色かわいい!これにしようよ、タダシ!」
私が指差したのは、パッと目を引くメタリックグリーンの、今でいうコンパクトカーだった。しかし、タダシは一歩引いた。「この車はね、後部座席がちょっと狭いな。それに、トランクの容量もあまりないし、将来のことを考えると…」
彼の言葉には、いつも「将来のこと」という言葉がついて回った。結婚したばかりの私たちにとって、将来のことはもちろん大切だ。しかし、その「将来」が、今目の前にある車の魅力を霞ませてしまうのは、私には少しもったいなく感じられた。
日産では、トラック仕様の車の力強さに惹かれた。「ねぇ、これならキャンプとかにも行けるよね!」と私が言うと、タダシはすぐにカタログを開いて、燃費と車両価格を比較し始めた。「確かに走破性は高いが、普段使いにはオーバースペックじゃないか?駐車場も選ぶし…」
ホンダでは、ミニバンのような車を見た。「これなら家族が増えても大丈夫だね!」と私がはしゃぐと、タダシは「このクラスの車は維持費もそれなりにかかる。保険料も高くなるだろうし、そもそも、まだ子供もいないのに…」と、またしても冷静な分析を始めた。
三菱では、個性的なデザインの車に目を奪われた。「このデザイン、他にはないよね!カッコいい!」私の興奮とは裏腹に、タダシはインターネットでその車の過去のリコール情報を調べ始めたりした。「デザインは確かに個性的だが、長期的な信頼性はどうか…」
私たちはディーラーを何軒も回った。営業担当者は、私たちの意見の食い違いに戸惑いながらも、懸命にそれぞれの車の魅力を語ってくれた。しかし、私の「かわいい」「かっこいい」「楽しそう」と、タダシの「燃費」「安全性」「維持費」は、決して交わることがなかった。まるで平行線をたどる二人の意見は、どちらかが妥協しなければ、永遠に車が決まらないことを意味していた。
何度ディーラーに足を運んでも、決まらない。私は少しずつうんざりし始めていた。たかが車、されど車。こんなにも意見が合わないものなのか。もしかしたら、これは車の問題ではなく、私たちの価値観の根本的な違いなのかもしれない。そんな漠然とした不安さえ感じ始めた。
ある日、私は一人で近所のショッピングモールに出かけた。ふと見慣れないディーラーの広告が目に入った。そこには、以前私がCMで見て、「これにしようかな」と漠然と考えていた車が、堂々と掲載されていた。流線型の美しいフォルム、鮮やかな赤色。その瞬間、私の胸の中に、ある決意が固まった。
「そうだ、これだ。これしかない!」
翌日、私はタダシに何も告げずに、そのディーラーに連絡した。私が気に入ったその車は、人気車種で、納車まで少し時間がかかるとのことだったが、私は迷わず契約した。タダシの意見を聞かずに決めてしまったことに、少しだけ罪悪感があった。でも、もうこれ以上、彼と車選びで揉めるのは嫌だった。それに、私にとっては、この車こそが最高の選択だと思えたのだ。
そして、納車の日が来た。私はタダシに「今日はちょっと出かける用事があるから、一緒に来てくれる?」と誘った。彼は少し不審そうな顔をしたが、私の笑顔に何も言えず、ついてきてくれた。ディーラーの駐車場に到着すると、そこには、真新しい赤い車が、まぶしい光を放って佇んでいた。
「わぁ…」
タダシは一瞬、言葉を失った。彼の顔には、驚きと、そして一瞬の不満が浮かび上がったように見えた。彼はきっと、私に何の相談もなく車を決めてしまったことに、腹を立てているのだろう。私は恐る恐る彼の顔を伺った。
しかし、次の瞬間、彼の顔はみるみるうちに変化した。不満の色は消え去り、代わりに満面の笑みが広がったのだ。
「え、これ…俺たちの車!?」
彼の目は、少年が初めておもちゃを与えられたかのように輝いていた。彼は車の周りを一周し、ボンネットをそっと撫で、ドアを開けて内装を覗き込んだ。そして、助手席のドアを開け、私に「さあ、乗って!」と促した。
私は、彼の笑顔に、胸をなでおろした。そして、この車を選んでよかったと心から思った。タダシは、私が想像していた以上に、新しい車を喜んでくれたのだ。
真新しい車に乗り込み、エンジンをかけた。なめらかな加速、静かなエンジン音。助手席のタダシは、どこか得意げな顔で、ナビゲーターの役割を買って出た。「じゃあ、まずは近くの公園に行ってみようか。この車の乗り心地、試してみたいしな!」
私はハンドルを握り、彼の指示通りに車を走らせた。風を切って進む赤い車は、まるで私たちの新しい人生を象徴しているかのようだった。この車は、私たち二人の意見が完全に一致したわけではないけれど、それでも、これから私たちの生活を豊かにしてくれる、かけがえのない存在になるだろう。
あれから数年が経った。あの赤い車は、今ではすっかり私たちの生活に溶け込んでいる。週末には、二人で少し遠出して、新しい場所を訪れる。スーパーでの買い物も、以前よりずっと快適になった。そして、時には、タダシが私に内緒で車をピカピカに磨いている姿を見かけることもある。そのたびに、私は、あの時の彼の満面の笑顔を思い出し、胸が温かくなるのだ。
車選びは、私たち夫婦の価値観の違いを浮き彫りにしたけれど、同時に、お互いを理解し、受け入れるきっかけにもなった。彼は私の一見衝動的な決断を最終的には受け入れてくれたし、私もまた、彼の論理的な思考の重要性を少しだけ理解できたような気がする。
これからも、この赤い車と一緒に、私たち夫婦の物語は続いていく。次は、どこへ行こうか。そんなことを考えながら、私は今日も、この愛しい相棒のハンドルを握った。
たみ34歳。
静かな日曜日の朝、まだ肌寒い空気が窓から差し込む。タダシは32歳。長男のタロウは4歳、次男のジロウは2歳。朝食を終え、リビングに散らばるおもちゃを片付けながら、私は今日の計画を頭の中で反芻していた。動物園。あの犬の事件以来、なんとなく心に引っかかっていたことだった。
数週間前、農家の友達の家へ遊びに行った時のことだ。タロウは動物が好きだったが、同時に怖がりでもあった。近所の猫や犬でさえ、彼にとっては随分大きく見えて、少しでも近づくと身をすくめていた。友達の家には、庭に繋がれた大きな犬がいた。最初は庭に出ることすら躊躇していたタロウだったが、何度か通ううちに、その犬にも少しずつ慣れていった。
ある日、タダシがタロウとジロウを連れて、その犬の散歩に出かけた。タロウは嬉々としてリードを握り、得意げに歩いていた。ところが、突然、犬が何かに驚いたのか、猛然と走り出した。タロウは咄嗟にリードを放してしまい、犬はあっという間に遠ざかっていった。タダシは犬を捕まえようと追いかけたが、追いつかない。途方に暮れた三人は、顔面蒼白で友達の家に戻り、事の顛末を報告した。友達の旦那さんが大声で犬を呼びながら走り去り、あっという間に犬を捕まえて戻ってきた時には、私は心底安堵したと同時に、タロウの顔に浮かんだ恐怖の表情が忘れられなかった。
あの出来事以来、タロウは動物に対してさらに臆病になった気がした。動物に慣れてほしい。そう願うたみとタダシの意見は一致し、家族全員で動物園へ行くことが決まったのだ。
行き先は、静岡市立日本平動物園。東名高速道路を使い、片道2時間半ほどのドライブだ。車に乗り込むと、タロウとジロウは後部座席で興奮気味にはしゃいでいた。私は手作りのサンドイッチと、魔法瓶に入れた温かいお茶、そしておやつをクーラーボックスに詰めた。タダシは運転席で、今日の動物園のパンフレットをちらりと見て、エンジンをかけた。
「タロウ、今日はどんな動物に会いたい?」私が声をかけると、タロウは考え込むように首を傾げた。 「うーん……ぞうさん!」 「ぞうさんか、大きいね。ジロウは?」 ジロウはまだ言葉がおぼつかないながらも、「わんわん!」と興奮気味に答えた。おそらく、友達の家の犬のことが頭にあるのだろう。
高速道路に乗ると、窓の外を流れる景色に子どもたちは夢中になった。雲一つない青空が広がり、絶好の動物園日和だ。私は、この平和な時間がずっと続けばいいのにと願った。普段は仕事と育児に追われ、慌ただしい日々を送っているが、こうして家族で遠出する機会は、何よりも大切な時間だった。
日本平動物園に到着すると、開園直後だというのに、すでに多くの家族連れで賑わっていた。広々とした駐車場に車を停め、降り立つと、遠くから動物たちの鳴き声が聞こえてくる。タロウは、少し緊張した面持ちで私の手を握った。ジロウはベビーカーに乗り、周りの景色を興味深げに眺めている。
まず向かったのは、レッサーパンダのいるエリアだった。小柄で愛らしいレッサーパンダが、木の上で眠そうに丸まっている姿に、タロウもジロウも釘付けになった。 「かわいいね、タロウ」私が言うと、タロウは小さく頷いた。 次に、猛獣館へ。ガラス越しに見るライオンは、想像以上に大きく、威厳に満ちていた。雄ライオンのたてがみが風になびくたびに、タロウは目を丸くして見つめていた。しかし、その迫力に圧倒されたのか、私の背中に隠れるようにして、じっと見上げていた。
「すごいね、ライオンさん」タダシがタロウに話しかける。 「お、おおきいね……」タロウの声は、少し震えていた。 私は、彼の小さな手をそっと握り返した。無理に近づけようとはしない。少しずつ慣れていけばいい。そう思っていた。
象のいる広場に着くと、その巨大さに圧倒された。タロウもジロウも、「おおきい!」と声を上げた。象がゆっくりと鼻を動かし、餌を食べる姿に、子どもたちは目を輝かせた。 「ぞうさん、お水飲んでるね」私が説明する。 タロウは少し離れた場所から、じっと象を見つめていた。怖がる様子はなく、むしろ興味津々といった表情だ。
動物園には、他にも様々な動物がいた。首の長いキリン、ユーモラスな動きをするチンパンジー、そして水の中を優雅に泳ぐペンギン。一つ一つの動物を見るたびに、タロウの表情は少しずつ和らいでいった。最初はぎこちなかった足取りも、次第に軽くなっていった。
昼食は、持参したサンドイッチを動物園内の休憩所で食べた。外で食べるご飯は、なぜか格別に美味しい。タロウはもりもりとサンドイッチを食べ、ジロウも小さくちぎったパンを嬉しそうに口に運んだ。食後、少し疲れたのか、ジロウはベビーカーの中で眠ってしまった。
午後からは、ふれあいコーナーへ向かった。モルモットやウサギなど、小動物に触れることができる場所だ。 「タロウ、触ってみる?」私が尋ねると、タロウは少し迷った表情を見せたが、ゆっくりと私の手を握り、モルモットに近づいた。 飼育員さんが優しくモルモットを差し出してくれた。タロウは、恐る恐る指先でモルモットの背中を撫でた。フワフワとした感触に、タロウの顔に笑顔が広がった。 「やわらかいね!」 その言葉に、私はホッと胸を撫で下ろした。あの犬の件以来、動物に触れることを避けていたタロウが、自ら触れようとしている。小さな一歩だったが、大きな変化だった。
動物園を出る頃には、すっかり夕暮れ時になっていた。帰り道、車の中でタロウは、今日見た動物たちの話を嬉々として語っていた。 「ライオンさん、がおーって言ってたね!」 「ぞうさん、お鼻が長かったね!」 ジロウも目を覚まし、「わんわん!」と楽しそうに繰り返していた。
私はバックミラー越しに、満足そうな子どもたちの顔を見た。今日の動物園は、タロウにとって、動物に対する苦手意識を少しでも克服する良いきっかけになったに違いない。
その後、家族で色々な動物園を訪れた。上野動物園では、パンダの可愛さに魅了され、甲府市遊亀公園附属動物園では、コンパクトながらもアットホームな雰囲気を楽しんだ。長岡市悠久山小動物園では、小さな動物たちとの距離の近さに驚いた。
今となっては、どこの動物園で観た象やライオンだったのか、よく分からなくなっている。それぞれの動物園で、子どもたちがどんな表情をしていたのか、どんな言葉を発していたのか、細部はもう覚えていない。ただ覚えているのは、どの動物園へ行った時も、車の中は穏やかな空気で満たされ、子どもたちの笑い声が響いていたことだ。
あの日の日本平動物園での体験は、タロウの心に小さな変化をもたらした。完全に動物への恐怖心がなくなったわけではないだろう。でも、動物園で様々な動物と出会い、そしてモルモットに触れた経験は、彼にとってかけがえのないものになったはずだ。
帰りの車中で、タロウはすっかり疲れて寝息を立てていた。その寝顔を見ながら、私は心の中で呟いた。「これで少しは、動物に慣れてくれたかな」。平和なドライブの終わりは、いつも穏やかな幸福感に包まれていた。家族で出かけることの喜び、子どもたちの成長を見守る喜び。それは、何よりも代えがたい宝物だった。あの日の動物園の思い出は、これからも家族の心の中に、温かい記憶として残り続けるだろう。
たみ35歳。
「たみ、そろそろ起きる時間だよ」
夫のタダシの声で、私はゆっくりと目を開けた。まだ夜が明けきらない午前五時。長野県須坂市の我が家は、しんと静まり返っている。当時40歳になった私は、二年前の夏にこの賃貸マンションへ引っ越してきたばかりだった。タダシは二歳下で三八歳。長男のタロウは九歳、次男のジロウは七歳になった。夏休みも残りわずか。今日から一泊二日で、私の父も交えて糸魚川へ家族旅行に出かけるのだ。
布団から抜け出し、リビングに向かう。テーブルには、前日にタダシがコンビニで買ってきてくれた朝食のパンが並んでいた。おにぎりを作る必要がないというのは、やはり楽だ。子どもたちの朝食を用意し、自分の支度を始める。
父は、昨夜から我が家に泊まっていた。普段は東京で一人暮らしをしている父にとって、孫たちと会えるのは何よりの楽しみなのだろう。昨晩も、タロウとジロウは父にべったりだった。
「おじいちゃん、おはよう!」
「今日は海に行くんだよね!」
子どもたちの元気な声が、家の中に響き渡る。父も嬉しそうに目を細めている。その笑顔を見ていると、今回の旅行を企画して本当に良かったと思う。
午前七時、いよいよ出発だ。父の荷物は最小限で、旅行慣れしているのがよく分かる。子どもたちはリュックを背負い、嬉しそうに玄関を飛び出した。
「忘れ物ないかー?」
タダシの声に、みんなで確認し合う。車に乗り込み、エンジンをかける。いざ、糸魚川へ。
高速道路に乗ると、案の定、すぐに渋滞に巻き込まれた。お盆シーズン真っ只中。分かってはいたけれど、やはりため息が出る。長野から糸魚川までは、普段なら二時間ほどの道のりだ。それが、今日は一体何時間かかるのだろう。
タダシは無言でハンドルを握っている。普段は穏やかな彼も、渋滞には辟易しているようだった。後部座席では、タロウとジロウがしりとりをしたり、なぞなぞを出し合ったりして時間を潰している。父は、そんな孫たちの様子を優しく見守っていた。
「お父さん、疲れてない?」
私が声をかけると、父はにこやかに首を振った。
「いやいや、みんなと一緒なら楽しいよ」
その言葉に、少しだけ心が軽くなる。
午前十一時過ぎ、ようやく糸魚川市に到着した。高速道路を降りてからも、一般道も混み合っていたが、ようやく目的地にたどり着いた安堵感で、疲れも吹き飛ぶようだった。
まずは、糸魚川の観光だ。この辺りはヒスイが採れることで有名だという。事前に調べておいた海岸へ向かうことにした。
車を停め、海岸べりに出ると、目の前には広がる日本海。波の音が心地よく響く。子どもたちは、普段見慣れない海の広さに興奮し、一目散に波打ち際へ駆け出した。
「わー!海だー!」
「石がいっぱいある!」
タロウとジロウは、しゃがみ込んで真剣な顔で石を探し始めた。私も一緒に、ヒスイの原石を探すことにした。キラキラと光る石、緑色の石、様々な石が転がっている。どれがヒスイなのかは分からないけれど、宝探しのように石を拾い集めるのは楽しい時間だった。
父も、孫たちの横で楽しそうに石を拾っている。時折、珍しい形の石を見つけては、子どもたちに見せていた。
「これ、面白い形をしてるね」
「おじいちゃん、これも見て!」
子どもたちの声が、潮風に乗って聞こえてくる。普段、なかなか一緒に過ごす時間の取れない父と孫たちが、こうして楽しそうに触れ合っている姿を見られるのは、私にとって何よりの喜びだった。
午後四時。海岸での宝探しを終え、この日宿泊する「かんぽの宿」に到着した。小高い丘の上に建つ宿からは、糸魚川の街並みと日本海が一望できる。
チェックインを済ませ、部屋へと向かう。今回予約したのは、広々とした座敷の部屋だ。子どもたちが走り回っても安心だし、何より皆でくつろげる。
部屋に入ると、タロウとジロウは早速畳の上をゴロゴロと転がり始めた。
「広いー!」「気持ちいい!」
その声に、父も笑顔で頷いている。
夕食まで少し時間があったので、まずは一息つくことにした。私はお茶を淹れ、皆で談笑する。今回の旅行では、食事の準備も、布団の準備も、私がする必要がない。それが何より嬉しかった。日頃の家事から解放され、心から旅行を楽しめる。
「お父さん、大浴場行こうよ!」
「僕も行く!」
タロウとジロウが、タダシを誘って大浴場へ向かう。父は、孫たちに誘われて嬉しそうにしている。私は、その姿を部屋から見送った。普段は仕事で忙しいタダシが、子どもたちと積極的にお風呂に入ってくれるのはありがたい。
午後七時。夕食の時間になった。宿の食事は、海の幸が中心で、新鮮な魚介類がふんだんに使われていた。普段は小食な父も、美味しそうに箸を進めている。子どもたちも、初めて食べる魚料理に興味津々で、色々なものに挑戦していた。
「このお刺身、美味しいね!」
「お魚、大きい!」
賑やかな食卓。この瞬間が、ずっと続けばいいのにと思った。
食事が終わると、子どもたちは再びタダシに連れられ、ホテル内の探検に出かけた。ゲームコーナーや売店などを見て回るのだろう。その間、私は父とゆっくりとお茶を飲みながら話をした。最近の父の様子や、子どもの頃の思い出話など、他愛もない会話だけれど、心が和んだ。
午後九時。子どもたちは部屋に戻ると、疲れてすぐに寝てしまった。遊び疲れたのだろう。静かになった部屋で、私も一日の疲れを感じ始める。
その時、タダシが突然立ち上がった。
「仕事が残ってるから、少しロビーで電話してくるよ」
そう言って、彼は後払い方式のテレホンカード(カードC)を持って部屋を出て行った。
その言葉に、私は少しだけ胸がざわついた。せっかくの家族旅行なのに、仕事を持ち出すのか。もちろん、彼も忙しいのは分かっている。でも、この旅行を本当に楽しんでいるのだろうか。
翌朝、タダシに昨夜のことを尋ねると、ロビーで消灯になるまで仕事をしていたとのことだった。彼の隣にいても、彼の気持ちは上の空なことが多いのかもしれない。普段から、彼は仕事のことで頭がいっぱいなのだろう。家族旅行という特別な時間でさえ、仕事から完全に解放されることはないのだと、改めて感じた。
翌朝も、朝食を済ませると、すぐにチェックアウトを済ませた。帰りの高速道路も、やはり渋滞は避けられなかった。行きと同様に、渋滞の中をひたすら進む。車内は静まり返り、子どもたちはほとんど寝ていた。父は、疲れたのか、時折ウトウトしている。
糸魚川の道の駅に立ち寄り、実家に持っていくお酒を買った。地元の銘酒だ。父も喜んでくれるだろう。
今回の旅行は、私にとって多くのことを考えさせる旅となった。父と孫たちとの触れ合いは、私にとって何よりの喜びだった。普段、なかなか会えない父との時間も、とても貴重なものだった。しかし、一方で、タダシとの間に横たわる、見えない壁のようなものも感じた。彼は、いつも家族のために一生懸命働いてくれている。それは重々承知している。それでも、時折感じる彼の心の距離。
いつか、彼が心から旅行を楽しめる日が来るのだろうか。
そして、私もまた、彼と共に心から旅を楽しめる日が来るのだろうか。
そんなことを考えながら、私は自宅へと続く道を眺めていた。
たみ36歳。
保育園の門をくぐり、まだ遊び足りない様子のジロウの手を引いて家路を急ぐ。時刻は17時過ぎ。西に傾いた陽射しが、マンションの壁に長く伸びた影を落としている。子どもは長男のタロウが6歳、次男のジロウが4歳だ。
タロウが保育園の頃から、私たちはスイミング教室に通わせていた。彼は水が大好きで、みるみるうちに上達していった。小学校に入学するタイミングでスイミングは卒業し、入れ替わるようにジロウが同じ教室に通うようになった。
ジロウは体が弱かった。よく熱を出し、すぐに風邪をひいた。長男が丈夫だったこともあり、余計にジロウの体が心配だった。どうにかして健康になってほしい。そう考えて、水泳が最適ではないかと私は直感したのだ。水泳は全身運動だし、喘息にも良いと聞く。何より、水に親しむことで、少しでも自信をつけてくれたら、と願っていた。
スイミング教室は、活気に満ちていた。同じ学年の子どもたちが20人ほど、きゃいきゃいと楽しそうな声をあげていた。バタ足をしたり、浮き輪につかまってふらふら浮いていたり。ジロウも最初は戸惑っていたけれど、持ち前の明るさで、すぐに水と友達になった。
スイミング教室に通い始めて半年ほど経った頃、私は待合室でママさん仲間と話すのが楽しみになった。
「たみさん、ジロウくん、今日ずいぶん潜れるようになったわね!」
「本当? そうなのよ、最近お風呂でも潜って遊んでるのよ」
そんな他愛のない会話が、忙しい毎日のちょっとした息抜きになった。年齢も子どもの学年もバラバラだけど、子育ての悩みを共有したり、おすすめのレシピを教え合ったり。そんなママさん仲間とは、今も付き合いが続いている。
ある日、ジロウが「ママ、見てて!」と、顔を真っ赤にして水中に潜り、ブクブクと泡を出して浮上してきた。その顔には、誇らしげな笑顔が浮かんでいる。その姿を見て、私は胸が熱くなった。
「すごいね、ジロウ! 潜れるようになったんだね!」
褒めると、ジロウは照れくさそうに笑った。そう、この笑顔が見たかったのだ。水泳を通じて、少しずつ自信をつけていくジロウの成長が、何よりも嬉しかった。
ジロウのスイミング教室の最終日。今日は夫にも来てもらった。
「ねぇ、タダシ。今日、ジロウのスイミングの最終日だから、見に来てくれない?」
私がそう誘うと、夫は一瞬、眉をひそめた。これまで彼は一度もスイミング教室に来たことがなかった。仕事が忙しいというのもあったが、それ以上に、人混みが苦手なのだ。
「えー、俺が行ってもなぁ……」
「いいから! ジロウも喜ぶから!」
半ば強引に夫を連れてきたものの、やはり彼は入口で立ち尽くしている。初めての場所に戸惑っているのが手に取るように分かった。
「こっちよ、タダシ!」
私は夫の手を引いて、待合室へと案内した。待合室は、いつものようにママさん仲間で賑わっていた。夫は、その光景にさらに居心地が悪そうに、柱の陰に隠れるようにしてじっと耐えている。
「あら、たみさんのご主人?」
私の友達が、夫に気付いて話しかけてくれた。
「お久しぶりですー」
夫は恐縮したように頭を下げた。友達はしばらく夫と話してくれていたが、すぐに私のもとへ戻ってきて、耳打ちした。
「そうとう緊張してるようね」
私は苦笑いしながら頷いた。人付き合いが苦手だとは思っていたが、ここまでとは。夫は、周りの目を気にするタイプで、特に大勢の人がいる場所では、完全に殻に閉じこもってしまうのだ。普段は穏やかで優しい夫だが、こういう場面では本当に手がかかる。
友達が気を使ってくれていたのに、申し訳ない気持ちになった。それでも、ジロウの晴れ舞台を家族みんなで見てあげたい。その一心で、私は夫を連れてきたのだ。
プールサイドでは、子どもたちが最後の練習に励んでいた。ジロウは、コーチの指示に従って、一生懸命バタ足をしている。顔には水しぶきがかかり、それでも楽しそうだ。
「ジロウ、頑張れー!」
私は大きな声で声援を送った。夫も、柱の陰からではあったが、じっとジロウの姿を見つめている。
やがて、練習が終わり、修了証書が手渡される時間になった。ジロウは誇らしげな顔で修了証書を受け取り、私たちの方へ駆けてきた。
「パパ!ママ!見て!」
ジロウは満面の笑みで、修了証書を掲げた。夫も、いつの間にか柱の陰から出てきて、ジロウの頭を撫でていた。その顔には、やはり照れくさそうな笑顔が浮かんでいたけれど、どこかホッとしたような表情も見て取れた。
「ジロウ、よく頑張ったね!」
私はジロウを抱きしめ、夫もその隣でジロウの小さな肩を抱いた。この光景を、夫と分かち合えて本当に良かった。そう心から思った。
スイミング教室を卒業してからも、ジロウは風邪をひく回数が減り、体も丈夫になった。何よりも、水泳を通じて得た自信は、ジロウの成長に大きな影響を与えたと思う。
あのスイミング教室で出会ったママさん仲間とは、今も連絡を取り合っている。子どもたちの成長を喜び合い、時には悩みを打ち明け、互いに支え合ってきた。夫も、あれ以来、少しずつ人付き合いに慣れてきたようだ。今では、PTAの集まりにも顔を出すようになった。
ジロウがスイミング教室に通っていたのは、ほんの数年のことだったけれど、私たち家族にとって、それはかけがえのない時間だった。水泳が、ジロウの体を強くしてくれただけでなく、私たち家族の絆を深めてくれたのだから。
これからも、ジロウが健康で、笑顔で、自分の道を歩んでいけるように。そして、私たち家族が、互いに支え合いながら、温かい家庭を築いていけるように。私は、そう願っている。
たみ37歳。
午前五時。まだ夜の帳が降りたままの小金井市で、私はそっと寝室を抜け出した。長男は六歳、次男は四歳になったばかり。家族四人での初めてのディズニーランド。前日から子どもたちは興奮し、私もまた、その笑顔を想像するだけで胸が高鳴っていた。
キッチンに立つと、昨夜から準備しておいたおにぎりの具材が目に留まる。鮭フレーク、梅干し、昆布。子どもたちが大好きな具材を丁寧に混ぜ込み、ラップで一つずつ握っていく。コンビニのおにぎりのように均一な形ではないけれど、私の愛情だけはたっぷり詰まっている。遠足気分を盛り上げたくて、卵焼きやウインナーも焼いた。普段よりも少しだけ豪華なお弁当。子どもたちの「わー!」という声が聞きたくて、自然と顔がほころんだ。
支度が終わり、子どもたちを起こす時間になった。まずは長男を優しく揺り起こす。「タロウ、起きて。ディズニーランドだよ」。すると、まだ夢の中にいるような声で「んー…」と返事をする。次男も起こし、二人ともまだ眠そうに目を擦っている。無理もない。いつもより三時間も早い起床だ。
着替えさせ、朝食を済ませると、子どもたちの目は次第に輝き始めた。「ディズニーランド、楽しみだね!」「ミッキーに会えるかな?」。その無邪気な声に、私もまた、胸が高鳴るのを感じた。
午前六時半。いよいよ出発だ。賃貸マンションの玄関で靴を履き、鍵を閉める。普段は静かな日曜日の朝が、この日ばかりは特別な高揚感に包まれていた。
首都高へ入ると、早くも車の量が多かった。日曜日の日帰り、しかも舞浜という場所柄、ある程度の渋滞は覚悟していたけれど、想像以上だ。カーナビもない時代。頼りになるのは、前日にプリントアウトしておいた地図と、時折現れる標識だけだ。
ハンドルを握るタダシの顔が、少しずつ険しくなっていくのが分かる。普段は穏やかな彼も、渋滞と慣れない道にイライラが募っているのだろう。助手席の私は、地図を広げ、次のインターチェンジまでの距離を読み上げる。「次は箱崎ジャンクションだよ。左車線に寄ってね」。私の声も、自然と大きくなる。
後部座席では、子どもたちがまだ元気だ。「歌を歌おう!」「しりとりしよう!」。そんな無邪気な声に、タダシも私も、時折笑顔を見せる。それでも、車が進まない苛立ちは、確かなものとして私たちの間に横たわっていた。
午前十一時過ぎ。ようやく舞浜のインターチェンジを降りた。駐車場に入るまでの道も、また渋滞だ。駐車場に車を停め、子どもたちをチャイルドシートから降ろす。長時間同じ体勢だった子どもたちは、車から解放された途端、駆け出した。
「わー!ディズニーランドだ!」
その声に、私たちもようやく安堵のため息をつく。入口に向かって歩き出すと、夢と魔法の王国が、その姿を現した。シンデレラ城が遠くに見え、パークの音楽が聞こえてくる。それだけで、車中の疲れが吹き飛ぶようだった。
チケットブースも長蛇の列だった。それでも、子どもたちの瞳はキラキラと輝いている。その姿を見ていると、待つ時間も苦ではなかった。
ゲートをくぐると、そこはまさに別世界だった。色とりどりの花が咲き誇り、キャラクターたちがゲストと触れ合っている。子どもたちは目を輝かせ、あちこち指差しては興奮していた。「ミッキーだ!」「プルートだ!」
まずはトゥーンタウンへ向かった。ミッキーの家やミニーの家を訪れ、子どもたちは大はしゃぎだ。ドナルドのボートでは、水遊びに夢中になっていた。アトラクションも一通り体験した。小さな子どもがいるため、ジェットコースターのような激しいものは避けたが、「イッツ・ア・スモールワールド」や「プーさんのハニーハント」など、子ども向けのものは全て制覇した。アトラクションの待ち時間も、子どもたちの興奮が冷めることはなかった。むしろ、次に何に乗るか、どんなキャラクターに会えるかと、想像力を膨らませていた。
お昼時になり、パーク内のレストランを覗くと、メニューの値段に驚いた。子ども連れで気軽に食べられる値段ではない。事前に調べてはいたものの、改めて現実を突きつけられる。
「おにぎり、ここで食べようか」
タダシが提案する。パークの芝生の上で、レジャーシートを広げた。私が朝早くから握ったおにぎりを広げると、子どもたちは目を輝かせた。「わー!おにぎりだ!」「おいしそう!」
※現在、このテーマパークでも手持ちの食料は施設内で食べられないことになっています。当時もそうだったかもしれません。シートを広げた時点で、注意されたような記憶もうっすらあります。施設の決まりに従ってください。
ディズニーランドでお弁当を食べることはできますが、パーク内では食べられません。お弁当を持っていく場合は、パークの外にある「ピクニックエリア」で食べる必要があります。パークに戻る場合は、出口で再入園の手続きをしてください。ディズニーランドでは、基本的に食べ物の持ち込みは禁止されています。ただし、小さなお子様のおやつやアレルギー対応食品など、状況によっては持ち込みが許可される場合もあります。
パークの喧騒を遠くに聞きながら、家族四人で食べるおにぎりは、何よりも美味しかった。青空の下、夢の国で食べる手作りのお弁当。それは、パーク内の高価なレストランでは味わえない、特別な時間だった。子どもたちの口元に付いたご飯粒を拭いてやりながら、この瞬間がずっと続けばいいのにと願った。
午後は、パレードを見るために場所取りをした。ちょうど日陰になっていて、座って待つことができたのは幸いだった。次男は少し疲れたのか、私の膝の上で眠ってしまった。長男は、まだかまだかとパレードの開始を心待ちにしている。
夕方のパレードは、まさに圧巻だった。きらびやかなフロートが次々と現れ、キャラクターたちが笑顔で手を振る。音楽に合わせて踊るダンサーたち。その光景に、子どもたちはもちろん、タダシも私も見入ってしまった。特に、シンデレラ城をバックに花火が打ち上げられた時は、感動で胸がいっぱいになった。
「また来たいね!」
長男が興奮気味に言った。その言葉に、私は深く頷いた。
午後8時。閉園の時間が近づき、パークを後にすることにした。お土産を見ようとショップに立ち寄ったが、結局あまり買わなかった。高価なグッズばかりで、子どもたちにねだられるたびに、少しばかり心が痛んだ。結局、キーホルダーと、子どもたちが欲しがった小さなミニカーをいくつか買うに留まった。
駐車場へ向かう足取りは重かった。朝早くからの行動と、慣れない場所での興奮で、子どもたちはもちろん、私たち大人もへとへとになっていた。特に、運転を終えてから表情が乏しかったタダシは、明らかに不機嫌だった。
「疲れたな…」
彼が呟いた一言に、私は返す言葉が見つからなかった。渋滞の中、長時間運転し、その上パーク内でも子どもたちの相手をしてくれた彼に、感謝の言葉を伝えるべきだったのに、私自身も疲れてしまっていた。
車に乗り込むと、子どもたちはあっという間に眠りに落ちた。車内は静まり返り、疲労だけが残った。帰りの高速道路も、やはり渋滞していた。タダシは無言でハンドルを握り、私は助手席で、遠ざかるディズニーランドの明かりを眺めていた。
あのディズニーランド以来、私たちは一度もディズニーランドを訪れていない。長男は十二歳、次男は十歳になった。彼らがもう少し大きくなったら、また家族四人で訪れる日が来るのだろうか。あの日の疲労と、タダシの不機嫌な横顔は、今も私の記憶の中に鮮明に残っている。でも、あの時の子どもたちのキラキラした瞳と、芝生の上で食べたおにぎりの味は、何にも代えがたい宝物だ。いつかまた、あの夢の国で、子どもたちと笑い合える日が来ることを願っている。
たみ38歳。
長男のタロウは9歳、次男のジロウは7歳になった。今でこそ、子どもたちは自分のことは自分でできるようになり、私も少しは楽になったが、あの頃の記憶は、私の心に深く刻まれている。
タロウが生まれたばかりの頃、私は喜びと同時に、初めての子育てに戸惑っていた。夜中の授乳、頻繁なおむつ交換。どれもこれも、慣れないことばかりで、心身ともに疲弊していった。けれど、隣で眠る夫のタダシが、一度として夜中に起きてくれることはなかった。たまに、タロウを抱っこしてミルクを与えてくれることはあったけれど、そのミルクの準備はすべて私がやった。温かいお湯を用意し、粉ミルクを測り、哺乳瓶を消毒し……。その手間暇を、彼は知ろうともしなかった。
次男のジロウが生まれた時は、さらにひどかった。彼は、ミルクを与えることすら手伝ってくれなかった。ジロウがいくら泣いても、彼はニコリともせず、自分の部屋に閉じこもってしまった。その背中を見るたびに、私の心には、鉛のような重いものがのしかかった。
買い物に行けば、重いベビーカーを押すのはいつも私。子どもたちを風呂に入れるのも、私が一人でこなした。二人を同時に洗い、拭き、服を着せる。その間、タダシはリビングでテレビを見ているか、スマートフォンをいじっているか。彼に、子育てを経験したなどと言う権利は、微塵もない。そう、私は強く思っていた。
そんなタダシにも、一つだけ、子どもたちに関心を示すことがあった。それは「教育」だった。子どもたちには早いうちからしっかりとした教育を受けさせたい、という彼の思いは、私には理解できた。
タダシは、図書館から算数の百ます計算の問題集を借りてきて、タロウに熱心に教えていた。ことわざかるたも、何度も何度も読み聞かせた。その他にも、絵本や紙芝居を借りてきては、子どもたちに読み聞かせをすることもあった。子どもたちは、彼の読み聞かせを楽しんでいたようだった。時に、声色を変えたり、身振り手振りを加えたりするタダシの姿を見て、私も「彼なりに頑張っているんだな」と感じたこともあった。
しかし、それも長続きしなかった。タダシの方が、すぐに飽きてしまうのだ。数日もすれば、百ます計算の問題集は棚の奥にしまい込まれ、ことわざかるたも手付かずのまま放置された。読み聞かせも、最初のうちは楽しんでいた子どもたちも、彼がすぐに飽きてしまうことを察して、いつの間にか彼にねだることもなくなった。
彼にとって、子どもの「教育」は、あくまで自分の都合の良い範囲で、義務感から行うものだったのだろう。そこに、子どもたちへの深い愛情や、共に成長していく喜びは感じられなかった。
私は、もう彼に期待することをやめた。子どもたちのことは、私が守る。私が育てる。そう心に決めて、今日まで歩んできた。あの頃の無力感と疲労は、今でも私の中に残っている。そして、時折、「子どもを私に任せきりだ」という、あの頃の諦めと怒りが、静かに胸をよぎるのだった。
たみ40歳。
長男のタロウは11歳、次男のジロウは9歳になった。夫のタダシはIT企業に勤めている。そのせいか、彼はいつも最新のデスクトップパソコンやアンテナの付いた携帯電話を惜しげもなく買っていた。月に一度仕事で東京に出かけると、しばらくして段ボール箱に入った大きなパソコンが届く、なんてことも珍しくなかった。
最近は、昔のように高価な買い物をするよりも、今ある会社支給の携帯電話を使い倒すことに意義を感じているようだった。それはそれで良いことなのだが、問題は、彼がスマホを肌身離さず見ていることだった。
食事中も、リビングでテレビを見ている最中も、彼の視線は常にパソコンの画面に釘付けだった。きっと、仕事をしているときも、運転中も、電車の中も、待ち合わせの時も、彼は電子手帳をいじっているのだろう。隣に私がいても、子どもたちが話しかけても、彼の耳には届いていないようだった。私はいつも、心の中で思っていた。
「なんでスマホばかり見てるの?」
彼がその小さな画面の中で、一体何を探しているのか、私には全く分からなかった。仕事のメールをチェックしているのか? ニュースを読んでいるのか? それとも、ただ眺めているだけなのか?
子どもたちが話しかけても、上の空で返事をする彼の姿を見るたびに、私は切ない気持ちになった。せめて、食事の時くらいはやめてほしい。 家族みんなで食卓を囲んでいる時くらい、顔を上げて、会話をしてほしい。しかし、私の願いは、彼には届かない。
ある晩、タロウが「パパ、今日の宿題教えて!」とタダシに話しかけた。タダシは一瞬、顔を上げたものの、すぐにスマホの画面に目を落とし、「うん、後でね」とだけ言って、また指を動かし始めた。タロウは、がっかりしたように私の方を見た。私も、何も言えなかった。
彼の指が画面の上を滑るたび、彼の心が、私や子どもたちからどんどん離れていくような気がした。私たちは、同じ空間にいるのに、まるで別の世界にいるようだった。彼の目の前には、常に光を放つ小さな画面があり、その向こう側に、彼だけの世界が広がっている。
私は、彼の電子手帳の画面をそっと覗き込んだことがある。だが、そこには無数の記号や数字、私には理解できない情報が並んでいるだけで、彼の心を映し出すものは何もなかった。
彼は、その画面の向こう側で、一体何を見つけようとしているのだろう。私には、その答えが永遠に見つからないような気がしていた。そして、私の心の中の「なんで電子手帳ばかり見てるの?」という問いかけは、今日もまた、彼の耳に届くことなく、消えていくのだった。
たみ43歳。
カチャカチャと皿の触れ合う音が、夕暮れ時のキッチンに響く。肉じゃがの甘い香りが、今日の献立を主張していた。エプロンの紐をきつく締めながら、沸騰寸前の鍋から目を離さない。今日も一日が終わる。二人の息子、13歳の長男と11歳の次男はリビングでゲームに夢中だ。その向こうから聞こえる夫、タダシののんびりとした声に、私は小さくため息をついた。
「ねえ、たみ。今日の晩御飯、外食にしない?」
私の手がぴたりと止まった。振り返ると、タダシはソファにだらしなく体重を預け、テレビのリモコンをいじっている。その視線はテレビ画面に向けられたままだ。
「もうすぐできるんだけど?」
私の声は、思ったよりも冷たく響いた。肉じゃがは味が染み込み、もうひと煮立ちすれば完成だ。煮魚もある。和え物も作った。それなのに、今になって外食?
「だってさ、たまには気分転換もいいかなって。美味しいお寿司でも食べに行かない?」
無邪気な、とすら言えるその言葉に、私の眉間に皺が寄る。気分転換はしたい。それはやまやまだけど、この食卓を整えるためにどれだけの時間を費やしたと思っているのだろう。材料を選び、レシピを考え、下ごしらえをし、調理する。それらすべてを当たり前のように私がこなしている。
「準備する手間を考えたこと、ある?」
私は、少しだけ語気を強めた。タダシはそこでようやくテレビから視線を外し、私の方を向いた。少しだけ気まずそうな顔をするが、すぐにいつもの調子に戻る。
「ごめんごめん。でも、たみも大変だろうから、たまには外でゆっくりするのもいいんじゃないかなってさ」
その「大変だろうから」という言葉が、私の神経を逆撫でする。気遣っているようで、結局は自分の都合を優先している。私は何も言わず、肉じゃがの火を止めた。今日の晩御飯は、外食ではなく、この肉じゃがと煮魚になるだろう。
タダシとの関係は、いつからかこうなってしまったのだろう。私が「だからなんなの?」と思うことが、タダシの甘えた言動を引き出しているのかもしれない。私は若くして母親を亡くし、家事全般を担っていた。結婚してからも、その習慣は変わらなかった。タダシはそんな私を「しっかりしている」と評し、ある意味、全面的に任せていた。それが、いつしか「甘え」に変わっていった。
「なあ、たみ。来月から転勤になったんだ」
突然、タダシはそう切り出したことがあった。私が洗濯物を畳んでいる最中のことだ。
「え? どこに?」
私は手を止めてタダシを見た。転勤は覚悟していたが、まさかこんな唐突に告げられるとは思わなかった。
「地方都市だよ。来月の1日からだって」
その言葉に、私は絶句した。あと2週間しかない。引っ越しの準備、子どもの転校手続き、役所での手続き……。考えるだけで眩暈がする。子どもたちは、それまで築き上げてきた友人関係や学校生活を失うことになる。長男はもう中学生、次男も高学年だ。転校は、彼らにとって大きなストレスになるだろう。
「なんでそんなに急なの? もっと早くわからなかったの?」
私の声は震えていた。タダシは悪びれる様子もなく、肩をすくめた。
「まあ、急に決まったことだからさ。でも、賃貸マンションだし、そろそろ引っ越しもいい機会じゃないかなって思ってたんだ」
「いい機会って……子どもたちのことを考えてるの?」
子どもたちは転校を嫌がった。友達と離れたくない、部活を続けたい、と泣きじゃくった。その子たちの気持ちをどうやってなだめたのか、タダシは知らない。引っ越し業者の手配から、転校先のリサーチ、役所への届け出まで、すべて私が一人で奔走した。タダシは、ただ隣で「大変だね」と声をかけるだけだった。その「大変だね」は、私にとって何の助けにもならなかった。
タダシは、自分の財布を持たないことが多かった。外出する時も、当たり前のように私の財布を当てにする。車を運転するのも、必然的に私だった。外食になれば、全額私が払う。タダシの稼ぎだからといっても、家計が苦しいことはよくわかっていた。だから、私の心は常に痛んでいた。
「たみ、これ見てくれよ! 薄型テレビ、32インチが8万円だって! 安くないか?」
ある日、タダシが興奮した様子で家電量販店のチラシを私に突き出した。当時、薄型テレビはまだ高価で、8万円というのは破格だった。しかし、私は家計簿とにらめっこしながら首を横に振った。
「今は無理よ。ボーナスも出ないんだし、子どもの塾代だってあるのに」
「でもさあ、こんなに安いの、今しかないぞ!」
タダシは食い下がった。その言葉に、私の苛立ちが募る。タダシは、目先の「安い」という情報に飛びつく傾向があった。それが本当に必要なものなのか、家計に負担をかけないか、という視点は欠落しているようだった。
そして、ポケベル全盛期の頃、出たばかりのPHS電話を指さして、タダシは事後報告をしたことがあった。
「これ、月額料金7千円なんだけど、契約しちゃった」
私は茫然とした。7千円。私のパート代から考えれば、決して安い金額ではない。ましてや、何の相談もなく契約してくるなんて。
「どうして相談してくれないの?」
私は声を荒げた。タダシは、まるで私の反応が理解できないかのように、目を丸くする。
「だって、便利そうだったからさ。それに、みんな持ってるって言ってたし」
「みんなって誰よ! うちはうち、よそはよそでしょ!」
私の声が大きくなり、子どもたちが心配そうにリビングから顔を覗かせた。私は慌てて声を抑え、子どもたちに「大丈夫だから」と笑顔を作った。
タダシは、物事を知っているようで、考え方がどこか幼稚だった。シティバンク銀行が日本に上陸した時も、そのブームに乗り、タダシはドルと円を短期取引で儲けようと試みた。
「これからは外貨だよ! 手数料も安いし、儲かるらしいぞ!」
そう言って、タダシは意気揚々と口座を開設した。最初は小額の取引で、わずかながらの利益を出していたようだった。そのたびに、「ほら、俺の言った通りだろ?」と得意げに話した。しかし、経済の知識が浅いタダシは、相場の変動に対応しきれず、あっという間に最低預金高の10万円を割り込んでしまった。すると、取引手数料が頻繁に引かれるようになり、みるみるうちに預金は目減りしていった。
「なんだよこれ! どんどん減っていくじゃないか!」
タダシは焦り、最終的には口座を解約した。その損失分は、もちろん家計から補填されることになった。
私は、そんなタダシの行動を目の当たりにするたびに、胸の奥で重い溜息をついた。その場しのぎの知識や、一時的なブームに踊らされる姿は、まるで子どものようだった。ずっと続けることがどれだけ大変なことなのか、一つのことを継続して成果を出すことの難しさ。そのうち、タダシは気が付くのだろうか。いや、もしかしたら一生気が付かないままなのかもしれない。
その日の晩御飯は、結局、私が作った肉じゃがと煮魚になった。子どもたちは美味しそうに食べている。タダシも「やっぱり私の料理が一番だよ」と、まるで何もなかったかのように言う。その言葉に、私の心はささくれ立つ。一番美味しい料理が、当たり前のように提供されることを、タダシは当然だと思っているのだろう。
食事が終わり、台所で洗い物をしていると、タダシが風呂から上がってきた。タオルで髪を拭きながら、背中に向かって話しかける。
「なあ、たみ。今度の週末、みんなで遠足に行かないか?」
その言葉に、私の手がまた止まった。遠足。もちろん、子どもたちは喜ぶだろう。しかし、遠足の準備はすべて私が担う。お弁当、水筒、レジャーシート、着替え……。考えるだけで疲労感が押し寄せる。
「準備、誰がすると思ってるの?」
私の声は、先ほどよりもさらに冷たくなった。タダシは、私の不機嫌な声に気づいたのか、少しだけトーンを落とす。
「いや、だから、たみもたまには息抜きしなきゃと思ってさ。俺も手伝うよ」
「手伝うって、何を手伝うの?」
私は振り返り、タダシをまっすぐに見つめた。その眼差しに、タダシは居心地が悪そうに視線を逸らす。
「ほら、お弁当とか、一緒に作ってもいいし……」
その言葉が、私の怒りの導火線に火をつけた。一緒に作る? 今まで一度でも、進んで台所に立ったことがあっただろうか。買い出しから献立決めまで、すべて私に任せきりだったくせに。
「あなた、今まで一度でも台所に立ってくれたこと、あったっけ?」
私の声は、抑えきれない怒りを帯びていた。タダシは、返す言葉に詰まる。
「そ、それは……」
「いつも急に言い出して、準備は全部私。あなたがお金だけ出してくれるならまだしも、それも私が出してること、多いでしょ!」
私は、この数年間の不満を吐き出すように、捲し立てた。転勤の件、PHSの契約、シティバンクでの失敗、そして今日の外食の話。すべてが繋がって、私の頭の中で怒りの感情が爆発寸前になっていた。
「家計が苦しいって言ってるのに、なんでそんなに無頓着なの? 子どものこと、少しは考えてよ!」
声が大きくなり、子どもたちが再びリビングから覗き込む気配がした。私は、子どもたちに聞かれていることに気づき、はっとした。これではいけない。こんな姿を子どもたちに見せてはいけない。しかし、一度噴き出した感情は、なかなか収まらない。
「あなたは、いつもそう。自分だけが楽しいことばかり考えて、そのしわ寄せが全部私に来るのよ!」
私の目から、涙が溢れ落ちた。悔しさと、疲労と、そして諦めにも似た感情が混じり合っていた。
タダシは、私の涙を見て、ようやく事の重大さに気づいたようだった。いつもの軽薄な笑顔は消え失せ、戸惑ったような顔で私を見つめている。
「た、たみ……ごめん」
しぼり出すようなその声は、いつになく弱々しかった。しかし、その「ごめん」という言葉は、私の心には響かなかった。何回も聞いてきた言葉だ。そして、その言葉の後に、タダシの行動が変わったことは一度もない。
私は、洗い物を中断し、その場に立ち尽くした。涙は止まらない。隣で子どもたちが心配そうに見つめているのがわかる。私は、子どもたちに弱った姿を見せたくなかった。
「もういいから」
私は、そう言って背を向けた。タダシは、私の背中を見て、何も言えずに立ち尽くしている。沈黙が、重く部屋にのしかかる。
その夜、私は寝室のベッドに潜り込み、顔を覆った。隣ではタダシが、やはり何も言わずに横になっている。二人の間には、深くて暗い溝が横たわっていた。
いったい、いつからこんな風になってしまったのだろう。かつては、何でも話し合える夫婦だったはずだ。ささやかなことにも笑い合い、お互いを支え合って生きてきたはずなのに。
私は、目を閉じて昔の記憶を辿った。結婚したばかりの頃の、希望に満ちた日々。子どもたちが生まれた時の喜び。あの頃のタダシは、もっと頼りがいがあったように思う。もっと、私の気持ちを考えてくれていたように思う。
何かが変わってしまった。いや、もしかしたら、最初からこうだったのかもしれない。私が強く、タダシは甘えん坊。そのバランスが、長い年月の中で歪んでいっただけなのかもしれない。
私は、ふと、子どもたちのことを考えた。彼らは、親の喧嘩をどう思っているのだろう。不安定な家庭環境は、彼らの心に影を落とすだろうか。そう考えると、胸が締め付けられるように痛んだ。
このままではいけない。わかっている。でも、どうすればいいのかがわからない。タダシに変わってほしいと願っても、それは無理なことなのかもしれない。私自身が変わるべきなのか。しかし、これ以上何をどう変えればいいのか。
私は、静かに涙を流し続けた。隣で、タダシが寝息を立て始めたのがわかる。彼には、私のこの苦しみが、本当に理解できているのだろうか。
朝が来れば、また日常が始まる。子どもたちを学校へ送り出し、家事をこなし、そして、またタダシと顔を合わせる。この先も、ずっとこの繰り返しなのだろうか。
私の心に、深い疲労感が降り積もっていく。夫婦とは、家族とは、いったい何なのだろう。答えの見えない問いが、私の心に重くのしかかる。
翌朝、私はいつも通りに朝食の準備をしていた。リビングからは、子どもたちの賑やかな声が聞こえる。タダシはまだ起きてこない。
私は、卵焼きを焼く手を止め、窓の外を眺めた。青空が広がり、鳥のさえずりが聞こえる。昨日までの喧嘩が、まるで夢だったかのように思える。
しかし、心に残った痛みは、現実の証拠だった。この痛みは、無視できない。もう、このままではいけない。
フライパンの火を消し、深く息を吸い込んだ。
「よし」
小さく呟いた。何をするのか、まだ具体的なことは決まっていない。しかし、この状況を、この関係性を、少しでも良い方向に変えていきたい。その強い決意が、私の心に芽生えていた。
たみ45歳。
長野の空は、鉛色の雲に覆われ、朝からしとしとと雨が降っていた。今日は、長男、タロウの高校の卒業式。私の心も、空模様と同じように、どこか重く、そして漠然とした不安を抱えていた。
一張羅の紺色のスーツに、少し厚手のコートを羽織る。何年も履き潰したパンプスでは心許なく、せめてもの抵抗とばかりに、胸元にスカーフを巻いてみた。記念写真に収まる自分の姿を想像し、少しでも華やかに見せたいという、ささやかな抵抗だった。
タロウが18歳だから、次男のジロウが16歳のころ。長男の卒業式に夫を呼ぶべきかどうか、ギリギリまで迷った。夫婦という形は保っているものの、ここ数年、会話らしい会話もほとんどない。それでも、一応、卒業式の一週間前には「来週、タロウの卒業式よ」とだけ伝えた。すると夫は、「午前中だけでも休みを取って出席する」と言った。意外だった。スケジュールと場所を伝えると、それ以上の問いかけもなく、夫は頷いた。
当日、午前9時。高校の体育館前で、傘を差して待っていると、夫の姿が見えた。いつもより少しきちんとした格好をしている。私を見つけると、無言で私の持っていた荷物を持ってくれた。その手のひらのぬくもりが、かえって距離を感じさせた。
体育館の中は、熱気と湿気でむんとしていた。保護者席に座り、式が始まるのを待つ。隣に座る夫とは、相変わらず言葉がない。沈黙が、重くのしかかる。ふと、タロウが高校に入学したばかりの頃、携帯電話を持たせるかどうかで、夫と話したことがあったのを思い出した。
「高校は、携帯の持ち込みは原則禁止だけど、持ってる子もいるみたいで、黙認してる部分もあるみたいよ」
私は、夫に判断を委ねようと、情報を伝えた。夫は少し考えた後、タロウに言った。
「携帯を持っていない生徒が多いのだから、必要ないだろう」
その時、タロウは珍しく夫に口答えをした。
「携帯がないと、公衆電話もないから不便なんだよ」
その一言で、夫はそれ以上、携帯の話をしようとしなかった。夫の頑なさと、タロウの反発。私は、その間に挟まれ、どうすることもできなかった。結局、私は夫に内緒で、タロウに携帯電話を渡した。夫はそのことに気づいていたようだが、何も言わなかった。あの時も、今と同じように、無言の空間が私たち夫婦を包んでいた。
式典は滞りなく進んだ。校長先生の式辞、来賓の祝辞、在校生の送辞、そして卒業生の答辞。どの言葉も、心に響くはずなのに、私の心はどこか上の空だった。ただ、タロウが卒業生代表として舞台に立つ姿を想像し、少し胸が締め付けられる思いがした。結局、タロウは答辞を読み上げることはなかったが、卒業生全員での「旅立ちの日に」の合唱が始まった時、私の目頭は熱くなった。
式が終わり、生徒たちが退場していく。タロウはまだ出てこない。夫と二人で待つ時間。やはり、会話らしい会話は生まれない。夫が口を開いた。「今日はあいにくの天気だったね」。当たり障りのない、天気の話。私は「そうね」とだけ答える。それから、また沈黙が降りてくる。
ふと、夫の横顔を見た。若い頃は、もっと溌剌としていたのに、今は疲れがにじんでいる。彼の人生にも、悩みがあるのだろう。私と同じように、いや、それ以上に、家族という名の鎖に縛られているのかもしれない。
どれくらい時間が経っただろうか。ようやく、タロウが友人たちと連れ立って出てきた。遠くからでも、彼の顔は輝いていた。級友たちと肩を組み、笑顔を交わし、別れを惜しんでいる。私を見つけると、少し照れたように手を挙げた。夫もそれにつられて、控えめに手を挙げた。
タロウは私たちの元へ歩み寄ると、「来たんだ」とだけ言った。その「来たんだ」には、驚きと、少しの安堵が混じっているように感じられた。私は「卒業おめでとう」とだけ言った。夫も「おめでとう」と言った。
記念写真を撮ろうと、私がデジタルカメラを取り出すと、タロウは友人を呼んで、一緒に撮ってくれと頼んだ。友人たちは快く応じてくれ、三人でカメラに向かって笑った。夫は、その様子を少し離れたところから見ていた。彼も写真に入れたら良かっただろうか。でも、それは言えなかった。言える雰囲気ではなかった。
タロウは、友人たちと再会の約束を交わし、またすぐに私たちの元から離れていった。彼は、もう私たちの手元から離れて、自分の道を歩んでいく。そんなことを漠然と感じた。
家路につく車の中でも、会話は少なかった。タロウは、後ろの座席でスマホを操作している。夫は運転に集中している。私は、助手席から流れる景色を眺めていた。雨は止んでいたが、空はまだ厚い雲に覆われている。
長男の卒業式
それは、私にとって、ただの一つの節目ではなかった。夫との関係、子どもたちとの関係、そして私自身の人生を、改めて見つめ直す一日だった。
高校入学時、携帯電話のことで夫とタロウがぶつかった時、私は夫に内緒で携帯を渡した。あれは正解だったのだろうか。夫との間に溝を作り、タロウに隠し事をさせるきっかけを作ってしまったのかもしれない。でも、あの時のタロウの不便だという訴えを、無視することもできなかった。私は、どこかで夫との関係に諦めを感じていたのかもしれない。そして、タロウには、せめて自由に羽ばたいてほしいと願っていたのかもしれない。
「ねぇ、タロウが卒業して、どう思う?」
ふと、隣で運転する夫に問いかけてみた。夫は少し考えてから、ハンドルを握る手を緩めずに答えた。
「そうだな……大きくなったな、って思うよ」
それだけだった。それ以上、夫は何も言わなかった。でも、その言葉の中に、夫なりの愛情と、子どもの成長への感慨が込められているように感じられた。
私たちの関係は、これからも大きく変わることはないだろう。でも、それでいいのかもしれない。夫婦という形は、それぞれの役割を果たすためにあるのかもしれない。私は私の役割を、夫は夫の役割を。そして、タロウはタロウの役割を。
家に着くと、ジロウが出迎えてくれた。
「兄ちゃん、卒業おめでとう!」
ジロウの明るい声が、沈んでいた私の心を少しだけ軽くしてくれた。タロウは照れくさそうに笑い、「ありがとう」とだけ答えた。
夕食の食卓は、いつもより少し賑やかだった。タロウの卒業祝いのケーキが並び、ささやかながらも、家族全員で彼の門出を祝った。
夜になり、タロウの部屋から、微かに友人と話す声が聞こえてくる。携帯電話を握りしめ、楽しそうに話しているのだろう。夫はリビングでテレビを見ている。私は、台所で洗い物をしながら、ふと思った。
私たちの家族は、これからもそれぞれの場所で、それぞれの時間を過ごしていく。でも、きっと、どこかで繋がっている。目には見えないけれど、確かな絆で。
雨上がりの空は、まだ星は見えないけれど、きっと明日は晴れるだろう。タロウの未来も、きっと晴れ渡るだろう。そして、私たち家族の未来も、それぞれの光を見つけて、進んでいくのだろう。
私は、そっと深呼吸をした。胸の奥に、 Graduationという文字が、ぼんやりと浮かんで消えていった。
たみ47歳。
長男のタロウ、次男のジロウ。彼らが生まれるずっと前のこと、私が19歳の頃の記憶が、時折、鮮明によみがえる。あの頃、私は施設で住み込みの寮母をしていた。幼い命と日々向き合う仕事は、体力も精神力も激しく消耗させた。そして、その無理がたたり、私は体を壊した。
精密検査の結果は、内臓に腫瘍があるというものだった。幸い良性で、手術で取り除けば問題ないとのことだったが、その時の衝撃は忘れられない。これを機に、私はできるだけ早く仕事を辞めようと心に決めた。体は、もう限界だった。
そんな矢先、タダシと結婚することが決まった。新婚旅行先も、二人の思い出の場所になるはずだったハワイに決まった。しかし、結局私たちは新婚旅行には行けなかった。 体がボロボロで、とても飛行機に乗れる状態ではなかったからだ。彼の心遣いはありがたかったが、それでも、どこか釈然としない気持ちが残った。
タダシには、ストイックなところがある。自分に厳しいのはもちろんのこと、その厳しさは周囲の人にも向けられる。彼の家庭が貧しかったから、人一倍努力しなければならなかったのだろう。彼は生来の負けず嫌いで、何においても「一番」に執着する。そのあまりの熱意と頑張りに、周りの人がついてこれずに疲弊していても、彼はそれに気づけないようだった。
「疲れてるのに気づいてくれない」
結婚してからの20年近く、その傾向は変わらなかった。私は、常にタダシの基準に合わせて走り続けているような感覚だった。家事も育児も、完璧を求められる。少しでも手を抜けば、彼の冷たい視線を感じた。
タロウが受験生になった今、彼の教育熱心さはさらに加速している。毎晩遅くまでタロウの勉強を見てやり、休日は模試や塾の送迎に追われている。傍から見れば、熱心な父親に見えるだろう。だが、その裏で、私は誰にも言えない疲労を抱え込んでいた。
ある日、風邪をこじらせて熱を出して寝込んでいた私に、タダシは「大丈夫か?」と声をかけてくれた。その言葉は優しかったが、彼は私が本当にどれだけしんどいのか、全く理解していないようだった。食事も、洗濯も、いつも通りに私がこなすことを当然だと思っている。彼は、私が無理をしていることに、気づいてくれない。
「もう少し休んでいたらどうだ?」とか、「今日は俺が家事をやろうか?」という言葉は、彼の口からは決して聞かれない。彼の中には、「疲れたら休む」という選択肢がないのかもしれない。だから、私にも、その選択肢を与えようとしない。
あの19歳の頃の体調不良は、私の心に深く刻まれている。あの時のように、再び体を壊してしまうのではないかという不安が、常にある。けれど、彼はそんな私の過去も、今の私の見えない疲労も、何もかも見ようとしない。
今日もまた、私は重い体を引きずりながら、日常をこなす。タダシは、自分の目標に向かってひたすら前進している。その背中を見つめながら、私は静かに、自分自身の心と体の声に耳を傾けていた
たみ49歳。
長男のタロウは20歳になり、次男のジロウも18歳になった。子どもたちが自立に近づくにつれ、私は昔のことを思い出す時間が増えた。結婚する前のこと。私は幼稚園教諭の免許を取り、20人近い子どもたちを5人の先生たちが交代で見ていた。先輩も後輩も関係なく、互いを「お姉さま」と呼び合っていた。2歳以下の小さな子から、中学生くらいまで。中には障害があったり、家族から見捨てられたりした子もいた。厳しいけれど、やりがいのある日々だった。
その仕事を結婚を機に辞め、私は専業主婦になった。結婚した後、夫のタダシから「仕事したら?」と言われたことがある。その言葉に、私は怒りを感じた。子育ての大変さを知らないから、そんな心ない発言ができるのだろうと思った。私はきっぱりと断った。子育ても、家族を養うのも、本当に大変なのだ。タダシの限られた給料でやりくりするのは骨が折れる。だが、いらないものを買わなければ、質素でも体にいいものを子どもたちに提供することは可能だ。
「太ったな」
しかし、タダシは違った。仕事のストレスからか、会社ではカップ麺や菓子パンばかりを昼食にしているようだった。結婚する前は、ウエストにしっかりとしたくびれがあったはずなのに、いつの間にかそれが消えていた。
ある日、洗濯物をたたんでいる時、タダシのシャツのウエスト部分が、以前よりも格段に大きくなっていることに気づいた。彼の背中を見た時も、以前のような筋肉の張りはなく、ぶよぶよとしているのがわかった。
私は、声には出さなかったが、心の中で強く思った。「太ったな」と。
男性たちは、よく「幸せ太り」などと言い合っているのを聞く。だが、私にとっては、そんな悠長な話ではなかった。千年の恋も興ざめだ。私自身が健康に気を遣い、食生活を管理しているのに、彼がそれを無碍にしているように感じられた。彼の体型が変化していくにつれ、私の中の何かも、少しずつ冷めていくようだった。
筋肉質であればまだしも、ぶよぶよとした背中には、触れたいとも思わなかった。私たちは、夫婦として共に暮らしているけれど、その距離は、日に日に遠くなっているように感じられた。彼が自分の健康に無関心であること、そしてその変化が、私の中の彼への感情に影響を与えていること。彼は、きっと気づいていないだろう。そして、気づこうともしないだろう。
たみ50歳。
長男のタロウは21歳、次男のジロウは19歳になった。子どもたちはそれぞれの道を歩み始め、少しずつ親の手を離れていく。そんな彼らの姿を見るたび、私の心には漠然とした将来への不安が募る。夫のタダシが、これまで通り同じ会社に通い続けていたとしても、その不安が消えることはなかった。
なぜなら彼は、仕事以外にも様々な場所に顔を出し、その度に「将来のために」という名目で、お金にならない活動に没頭していたからだ。フリーマーケットでの店番、地域のボランティア活動、町の清掃活動。どれもこれも、傍から見れば立派な社会貢献だ。彼の外面はよかっただろう。誰にでも愛想が良く、積極的に行動する彼の姿は、きっと周囲から賞賛されていたに違いない。彼は、正しいこと、いいこと、目立つことが好きなのかもしれない。
しかし、その裏で、彼は本当にその活動の周りにいる普通の家族や、彼に頼っている弱い人のことを本心で考えていたのだろうか。私には、そうは思えなかった。彼の「将来のため」という言葉は、一体誰のための「将来」なのだろう。私たちの家庭の経済的な安定は、二の次になっているように感じられた。
「将来のため」という名の逃避
タダシは、会社から帰れば、すぐに次の活動へと駆り出されていく。週末も、早朝から出かけていき、帰ってくるのは決まって夜遅くだ。その間、家のことは私に任せきり。子どもたちの成長に合わせた出費も増えていく中で、彼の無報酬の活動は、私にはただの現実逃避にしか見えなかった。
何度か、彼に遠回しに言ったことがある。「もう少し、家のことにも目を向けてほしい」と。しかし、彼はいつも「これも将来のためだから」「社会貢献だよ」と、同じ言葉を繰り返すだけだった。彼の目には、私の不安も、子どもたちの成長に必要な現実的なお金も、見えていないようだった。
タロウが大学に進学する際も、ジロウが専門学校を選ぶ際も、学費や生活費の工面は常に私にのしかかった。タダシは、口では応援するが、具体的な行動に移すことはほとんどない。彼は、ひたすら自分の「将来のため」という名の活動に邁進するだけだった。
私は、彼の外面の良さと、内面の無責任さのギャップに、日々疲弊していった。彼の周りには、いつも笑顔の人がいる。賞賛の言葉が飛び交う。けれど、その陰で、私は静かに不安を募らせていた。
このままでは、本当に将来どうなるのだろう。老後の生活、子どもたちの独立。考えるほどに、胸が締め付けられる。彼は、きっと何事もなく、自分の信じる道を突き進んでいくだろう。けれど、その先に、私たち家族の本当の幸せがあるのか。私には、その答えが見えなかった。タダシの遠い背中を見つめながら、私は尽きることのない不安を抱えていた。
たみ51歳。
長男のタロウは22歳、次男のジロウは20歳になった。子どもたちはそれぞれの生活を送り、家の中は以前にも増して静かになった。その静けさの中で、私の心には、ずっと喉の奥に引っかかったままの小骨のような思いが横たわっている。それは、「私の気持ちを理解してほしい」という、切なる願いだ。
夫のタダシは、昔から無断外泊が多かった。仕事の時もあったのかもしれない。けれど、家で彼の帰りを待つ私の気持ちを、少しは分かってほしかった。私たちは賃貸マンションに住んでいて、玄関の外は公道と同じ。隣近所にどんな人が住んでいるのかも分からない場所に、私たちは暮らしていた。夜遅くまで、いつまで経っても彼が帰ってこず、連絡もないと、玄関にチェーンをかけることさえできない。防犯上の不安も、もちろんあった。
それだけならまだいい。本当に仕事で遅くなっているのか? 仕事で徹夜しているのか? 仕事で出張に行っているのか? まったく分からないのだ。 彼は何も言わない。私が聞いても、曖昧な返事しか返ってこない。
休日に登山に行く時もそうだ。彼は「山へ行く」とだけ言い残し、早朝に出ていく。どこの山にいるのか? なぜ教えてくれないのだろう。いつも疑問だった。何か隠していることがあるのではないか、そうも考えてしまう。
見つかった「それらしい形跡」
一番考えたくないことは、浮気や不倫をしているのではないかということだ。このことは、あまりにも恥ずかしくて、これまで誰にも話せなかった。けれど、今、勇気を振り絞って書くとすれば、決定的証拠ではないけれど、それらしい形跡を彼の持ち物の中から見つけてしまったことがある。
それは、彼のワイシャツのポケットから見つけた、小さなレシートだった。日付は、彼が無断外泊した日。場所は、私たちの家から遠く離れた、見知らぬホテルの名前。そして、二名分の朝食代が記載されていた。他にも、彼の財布から見慣れない店のポイントカードが出てきたこともある。
私は、それらを見つけるたびに、胸が締め付けられるような痛みを感じた。彼の無言の行動、隠された情報。それらが積み重なって、私の中に深い不信感を植え付けていった。
彼は、私の不安に気づいているのだろうか。私が夜中に一人、彼の帰りを待ちわびていたこと。彼の言葉足らずな行動に、どれだけ心がざわめいていたか。彼に、私の気持ちを理解してほしい。 ただそれだけなのだ。
けれど、彼は今日もまた、何も言わずに自分のペースで生活している。私の心の中の叫びは、彼には届いていない。きっと、これからも届くことはないのだろう。私は、窓の外の暗闇を見つめながら、無音の問いかけを繰り返していた。
たみ52歳。
長男のタロウは23歳、次男のジロウは21歳になった。子どもたちはすでに社会人となり、それぞれの生活を送っている。家の中は静かになったが、私と夫のタダシの関係は、昔から変わらない。特に、彼が「気が利かない」と感じる瞬間は、数えきれないほどあった。
タダシは、職場で気が利く男らしい。時折、珍しく自分から自慢話をすることがあった。
「この間、大きな会議に参加したんだけどさ、僕が言い出さなかったら、記念写真は残らなかっただろうな」
そう言って、得意げに笑う。私からすれば、そこまで自慢するようなことでもないだろうと思うのだが、彼が自分から手柄話をすることは滅多にないため、他にもきっと、彼の言う「気が利く行動」が多々あるのだろう。職場では、そういう行動が評価されるのかもしれない。
気が利かない
だが、家庭ではどうか。私から見れば、彼は「気が利かない亭主」そのものだった。なぜなら、彼の行動のほとんどが、家族のことを一番に考えていないように思えるからだ。
例えば、私が熱を出して寝込んでいても、彼は食事の準備をしてくれることはない。ただ「大丈夫か?」と声をかけるだけで、あとは自分の好きなように過ごす。私が、溜まった洗濯物を見てため息をついている横で、彼は悠々と趣味のパソコンをいじっている。私に何も言わないで外泊することなども、私の心労を全く理解していないからこその行動なのだろう。
なぜ、彼は家庭でこれほどまでに気が利かないのだろうか。そして、なぜ、それを直そうとしないのだろうか。
きっと、私が何も言わないからだ。そう、私は分かっている。これまでの人生で、私は彼に多くのことを諦めてきた。不満を口にしても、彼は理解しようとしない。むしろ、機嫌が悪くなるだけだ。だから、私は、何も言わないことを選んだ。言っても無駄だと、諦めてしまったのだ。
彼の「気が利く」という行動は、あくまで自分の評価や、他人の目がある場所で発揮されるものなのだろう。家庭というプライベートな空間では、彼は素の自分に戻る。その素の自分が、私にとっては「気が利かない夫」なのだ。
私が疲れていようが、困っていようが、彼は自分のペースを崩さない。私の中には、彼のそんな態度に対する不満が積もり積もっているが、それを表に出すことはない。私たちの間には、もう、言葉で伝え合うことのできない深い溝がある。
今日もまた、リビングで自分の世界に没頭するタダシの背中を見つめながら、私は心の中で静かに呟く。「本当に、気が利かない人だな」と。そして、この関係が、これからもずっと続いていくのだろうと、私は諦めにも似た思いで受け入れている。
たみ53歳。
長男のタロウは24歳、次男のジロウは22歳になった。子どもたちはもう成人し、それぞれの生活を送っているが、夫のタダシとの関係は、昔から何も変わっていなかった。いや、むしろ、彼の甘えは、歳を重ねるごとに増しているように感じられた。
食事がもうすぐ出来上がるというタイミングで、「今日はレストランへみんなで行こうか」と、突然言い出す。あるいは、天気予報をちらっと見ただけで、「明日はみんなで遠足に行こう」と提案する。準備するのはすべて私なのに。食材の買い出しから、お弁当の用意、持ち物の確認まで、すべて私がやるのだ。そんな彼の言葉に、何度「冗談でしょう?」と言い返したくなったことか。
ある日、タダシが転勤になったと、事後報告を受けたこともある。「来月から地方都市になった、しかも2週間後だ」と、こともなげに告げられた。賃貸マンション住まいなのをいいことに、「もうそろそろ引っ越ししないか?」と、突然言い出すこともあった。子どもたちは転校することを嫌がっているのに、彼の頭の中には、そうした家族の都合は存在しないようだった。
そして、何より私を苛立たせたのは、彼の金銭感覚だった。彼は財布を持って出かけることがほとんどない。だから、車を運転するのも必然的に私だし、外食になれば、全額私が払うことになる。家計が苦しいこともよく分かっていたから、夫の稼ぎだからといっても、私の心が痛まないわけではない。
それなのに、彼は突然、こんなことを言い出すのだ。
「ステレオコンポのDVD付きが3万円で買えるんだって!安いね!」
あるいは、当時ポケベルが全盛期だった頃、出たばかりのPHS電話を指さして、「月額料金が7千円なんだけど、契約したから」と、これまた事後報告。
シティバンク銀行が日本にやってきた時もそうだ。ドルを買ったり円を買い戻したりしながら、今でいう短期取引で儲けようとしていた。だが、結果は散々。最低預金高の10万円を割り込んで取引手数料まで取られるようになり、結局解約する羽目になった。
彼は、物事を知っているようで、その考え方が根本的に幼稚なのだ。目先の安さや、新しいものへの興味だけで飛びつき、その先に続く維持費や、継続することの難しさには、まるで気づかない。
「ずっと続けることがどれだけ大変なことなのか、そのうち気が付くのだろうか」
私は、心の中で何度もそう呟いた。彼が、この先もずっと、私に甘え続け、現実から目を背け続けるのだろうか。夫婦喧嘩というよりも、私の一方的な不満の蓄積。もう、何を言っても変わらないと、諦めにも似た感情が、私の心を支配している。それでも、私は今日もまた、この終わらない甘えと、幼稚な考えの夫と、共に暮らしている。
たみ54歳。
長男のタロウは25歳、次男のジロウは23歳になった。二人とももう社会人だが、家計を預かる私の頭の中は、常に数字と不安でいっぱいだった。その不安の根源は、他でもない、夫のタダシの金銭感覚にあった。
タダシの趣味は、彼のIT企業勤務という仕事柄、パソコンだった。それも、最新機種をよく買う。年に一度は新しいパソコンを買っていた。「仕事でも使っているパソコンが役に立たなくなってきたから新しいのを買う」と、一応は私の許可を取ることもあった。だが、そうして買ったパソコンも、一年も経てば「役に立たなくなった」と言って買い替えになるのだ。
彼の「仕事のため」という言葉の裏で、着々と家計を圧迫していくパソコン代。もっと稼いでほしいと思うのは、当たり前ではないか。私は、心の中でいつもそう叫び、イライラを募らせていた。
そんなある日、長年使い続けた洗濯機が壊れてしまった。脱水ができなくなったのだ。毎日二回は回す洗濯機がないと、生活が成り立たない。私はすぐにタダシに「洗濯機が壊れたから買ってきてほしい」と頼んだ。すると彼は、当たり前のように「2週間後に秋葉原行くけど、その時でいいか?」と聞いてきた。二週間も待てるわけがない。私は呆れて、言葉も出なかった。
その三日後、今度は冷蔵庫が冷えなくなった。立て続けの家電の故障に、私は途方に暮れた。「冷蔵庫も買ってほしい」そう告げると、タダシは明らかに不満そうな顔をした。まるで、私が贅沢を言っているとでも言いたげな表情だ。
「そんなに嫌ならもっと稼げ」
洗濯機も冷蔵庫も壊れたのは、私が悪いわけじゃない。使っているのは私かもしれないけれど、中身はすべて家族のための機械だ。家族の生活を支えるための必需品なのだ。
彼は、渋々ながらも、なるべく安い洗濯機と冷蔵庫を買ってきたようだ。しかし、現金では購入できなかったようで、カード払いとなった。その引き落としが行われた月の翌日、私は思い切って彼に言った。
「今月はお金ないから、これ以上カードを使わないでほしい」
私の言葉に、彼は怒っていた。 彼の顔はみるみるうちにこわばり、沈黙が部屋に満ちた。私はその時、心の中で叫んだ。「そんなに嫌なら、もっと稼いでほしい」と。
彼が新しいパソコンを買うことには寛容で、自分の趣味には惜しみなく金を使う。しかし、家族の生活に必要不可欠な家電が壊れた時、彼は渋面を作る。この矛盾に、私は深く失望した。
彼は、自分のストレスや欲望を優先し、家族の現実的な苦境には目を向けようとしない。私のイライラも、不安も、彼には届かないのだろう。いや、届いていたとしても、彼はそれを受け止めようとはしないのだろう。
私は、この終わりの見えない経済的な不安と、彼への不満を抱えながら、これからも家計を守り続けるのだろう。彼の「仕事のため」という名目の浪費と、私の「家族のため」という切実な願いは、永遠に交わることがないように思えた。
たみ56歳。
子どもたちはもう完全に親の手を離れ、それぞれの人生を歩んでいる。静かになった家の中で、私は時折、過去の出来事を反芻する。特に、夫のタダシに私の愚痴を聞いてもらえなかった日々は、今でも鮮明な記憶として残っている。
私が夫に相談したことは、数えきれないほどある。だが、夫が私に相談したことは、ほとんどない。私が一方的に話すばかりで、彼の口から悩みや不安を聞くことは、結婚生活を通じて皆無に近かった。
私の相談といえば、例えば、子どもが学校でいじめられた時のことだ。私はタダシにそのことを話したが、彼はすぐに小学校の職員室へ乗り込んで文句を言ったらしい。学校側は、さぞモンスターペアレントが来たと思ったことだろう。後日、タロウの報告によれば、事態は良い方向には解決しなかったようだった。私が求めていたのは、彼の激しい行動ではなかった。ただ、私の不安な気持ちに寄り添って、一緒に考えてほしかっただけなのだ。
父の病気がひどくなった時も、彼に相談したことがある。彼は色々と調べてくれたのだろう。だが、医者でもないのに、父の病気の原因や今後どういうことが起こるか、専門家のような口調で並べ立てた。私が知りたかったのは、そんなことじゃない。ただ、「こんなつらい状況を、私一人で抱え込んでいるんだよ」と、彼に知っていてほしかっただけなのだ。私の心の中の叫びを、そのまま受け止めてほしかった。しかし、彼は、私の愚痴を聞くことには、まるで興味がないようだった。その時、私は思った。彼には、もう私の愚痴を話すことはないだろう、と。
地方都市への引っ越し直後、私は産後うつ、あるいは子育てうつになってしまった。私自身、兄弟の子供たちの面倒を見てきた経験から、子育てには自信があったはずだった。だが、慣れない土地での生活、知り合いもいない孤独、そして子育ての重圧に、何もかもが嫌になってしまった。朝、目が覚めるのが億劫で、一日中、体も心も重かった。
そんな状況を、夫には相談できなかった。彼は、私の「弱音」を受け止めることができないだろう、と思ったからだ。彼のストイックな性格を知っていたからこそ、彼に言えば、きっと「そんなことで?」と、私の苦しみを一蹴するに違いないと感じていた。
だから、私は別の場所で救いを求めた。引っ越し先で新しくできた友達、子どもたちのスイミングスクールで一緒になったママ友たちに、私は自身の状況を打ち明けた。彼女たちは、私の話にじっと耳を傾け、共感してくれた。たわいもない会話の中で、私は少しずつ、心の重荷を下ろすことができた。
夫に理解してもらえない孤独は、私の中に深い溝を作った。彼は、私の一番近くにいるはずなのに、私の心には一番遠い存在だった。そして、私は、彼のいない場所で、私の心を守る方法を見つけるしかなかったのだ。
たみ57歳。
長男のタロウは27歳、次男のジロウは25歳になった。夫のタダシとは、もう30年近く連れ添っている。彼の特徴の一つに、滑舌の悪さがあった。何を言っているのか聞き取れないことが、しばしば。声も小さい。それは、私が知る限り、彼が小学生の頃から変わっていない。
しかし、彼の頭は悪くない。むしろ、文章はとても上手だった。同棲する前に文通していたからこそ、それは確信できる。彼は、頭が良すぎて、その思考についていけないこともあった。だから、彼が突然放つ言葉に、私は何度「なんでそんなこと言うの?」と聞き返したくなったことか。彼の言葉の奥にある真意が、まるで掴めないのだ。
別居を決める時も、そうだった。ある日突然、彼は言ったのだ。
「前にも言ったことがあったけど、本当に仕事をやめる」
私は、その言葉に絶句した。理由も、経緯も、何も分からない。彼は、なぜこのタイミングでそんなことを言い出したのだろう? 私が、彼の転職を止めてほしかったのか。それとも、新しい生活に私と子どもたちもついて来てほしかったのか。彼の言葉の真意は、いつも霧の中だった。
定年よりもはるかに早いタイミングで仕事を辞めて、一体どうするつもりなのだろう。彼の人生設計が、私には全く見えない。
「なんでそんなこと言うの? 私たちはどうすればいいの」
私は、心の中でそう叫んだ。けれど、その言葉が彼の耳に届くことはない。
タダシは、いつもそうだ。自分の世界の中で完結し、周囲に説明することをしない。あるいは、説明しているつもりでも、彼の活舌の悪さや、声の小ささ、そして私には理解できない論理で話すために、結局何も伝わってこないのだ。
彼の発言は、いつも突然で、脈絡がないように思えた。例えば、何の相談もなく高額な買い物をしたり、家族の予定を無視して自分の趣味に没頭したり。それら全てが、私には「なんでそんなこと言うの?」「なんでそんなことするの?」という疑問符しか残さなかった。
今回の「仕事をやめる」という言葉も、彼の頭の中では、きっと完璧なロジックで説明されているのだろう。けれど、私にはそのロジックが見えない。彼の言葉は、常に私を置き去りにし、戸惑いの淵に突き落とす。
彼の本音は、どこにあるのだろう。本当は、私にどうしてほしかったのだろう。彼が仕事をやめることで、私たちの生活はどうなるのか。具体的な計画も、展望も、何も示されないまま、ただ「やめる」とだけ告げられる。
私は、彼の言葉の裏に隠された意味を、いつも必死で探していた。だが、その努力は報われることがなかった。彼は、私の気持ちを理解しようとしないし、私もまた、彼の本音にたどり着けない。
この別居は、彼が放った「なんでそんなこと言うの?」という言葉の、一つの結果なのかもしれない。そして、この先も、彼の言葉の真意を問う日々が、私には続くのだろうか。
たみ58歳。
長男のタロウは28歳、次男のジロウは26歳になった。夫婦となって三十年以上が経つが、夫のタダシとの間には、ずっと埋まらない溝がある。それは、彼の愛情表現の欠如だった。
彼は「愛しているよ」とも「好きだよ」とも言わない。それは私に対してだけではない。子どもたちに対してもそうだ。タロウやジロウが、どんなに彼に懐いていても、彼は感情を言葉にすることはなかった。好きな食べ物のことも「これが好き」と明言することもない。だから、彼と一緒にいても、感情が返ってこないので、私はいつも寂しい気持ちになった。そして、もしも彼の心の中に嫌な感情が溜まりに溜まっていたとしたら、いつそれが爆発するのか分からず、怖かった。
食事を出せば、「おいしかったよ」と一言でいい。一緒に過ごせば、「楽しかったよ」と伝えてほしい。旅行に行けば、「この景色は素晴らしい」とか、「初めて来たよ」とか、感動を分かち合いたい。だが、彼はそうした感情を表現することができない。だから、愛情表現は無理なのかもしれないと、私は諦めにも似た思いを抱いていた。
それなのに、外出すると、驚くほど彼は変わる。露出の多い若い女性が通りかかると、彼の目はまるで釘付けになっている。その視線は、私に向けられることのない、まるで獲物を狙うかのような鋭さだった。
私が友人家族と女子会のような食事会を催すことがある。その時、夫たちは誰も出席しない、と伝えているにもかかわらず、タダシは出席したがるのだ。そういえば、大学時代も女子の割合が高い研究室にいたと聞いたことがある。彼にとって、女性は「対象」であって、そこに感情の交流は求めていないのだろうか。
彼のそのちぐはぐな行動を見るたび、私の心はさらに寂しくなった。彼は、自分の感情を表現できないのではない。私や子どもたち、そして家庭に対して、その感情を表現しようとしないだけなのではないかとさえ思えた。
言葉がないことの寂しさ。感情が読めないことの怖さ。そして、自分に向けられない視線と、他者へ向けられる興味。それらがすべて、私の中で「愛情表現が足りない」という一つの大きな塊になっていた。
この先、彼が私に「愛している」と告げる日は来るのだろうか。それは、永遠に訪れない夢なのかもしれない。私は、今日もまた、彼の背中を見つめながら、心の中で届かない言葉を繰り返している。
たみ60歳。
今朝、目覚まし時計より少し早く、カーテンの隙間から差し込む柔らかな光が瞼をくすぐった。誕生日だ。60歳。還暦という響きは、まだ肌に馴染まない。鏡に映る自分は、いつの間にか増えた目尻の皺を携えていたけれど、それでも心の中には、まだ20代の頃の、あの無鉄砲な自分がひっそりと息づいている。
テーブルの上には、自分で淹れたコーヒーと、昨日買ってきた小さなケーキ。誕生日だからといって、誰かと祝う予定もない。別居して、もうどれくらいになるだろう。数えても意味がない気がして、敢えて考えてこなかった月日が、足元にそっと積もっている。
夫、いや、別居中のタダシは、私より二学年年下だ。それがどうにも癪で、人には「一つ年下なのよ」と答えている。そのたびに、心の中で「ふん」と鼻を鳴らす。実際は二つなのだから、この偽りも60年の人生において、ささやかな反抗なのだろう。彼の転職が別居のきっかけになった。いや、彼は転職することを理由に別居を選んだ、と私は思っている。お互いに、距離を取りたかった。それが正解だったのか、今も答えは出ない。
コーヒーの香りが、記憶の扉を叩く。
同棲して二人の生活が始まった当初は、お互いの存在が新鮮で、何をするにも楽しかった。彼は相変わらず、少し無口で、でも私をよく見ていてくれた。私が落ち込んでいると、何も言わずに隣に座り、ただ肩をそっと抱き寄せる。その無言の優しさに、何度も救われた。
けれど、年月は人を少しずつ変えていく。最初は些細なすれ違いだった。私が話しても、上の空で返事をするようになった彼。私の提案に、渋い顔をするようになった彼。私だって、完璧な人間じゃない。彼だって、私に対して不満があったはずだ。それでも、少しずつ、私たちの間には目に見えない溝ができていった。
「転職する」と彼が言い出した時、私は漠然と「あ、別居するんだな」と感じた。理由を問いただすこともせず、ただ頷いた。彼の新しい職場が、遠方にあることが幸いだった。お互いに距離を取りたかった。本当にそうだったのか。もしかしたら、私が彼から距離を取りたかったのかもしれない。
引っ越しの準備をしていた時、タダシはいつもより饒舌だった。「ここにはこれがな」「あれはあっちに」まるで初めて一人暮らしをする子どものように、細々とした指示を出していた。その姿を見て、私は確信した。彼は一人の方が気楽なのだ、と。もちろん、私も一人の方が気楽な部分はある。好きな時に好きなものを食べ、好きな時に好きな場所へ行く。誰にも気兼ねなく、自分の時間を過ごせる。
けれど、一人でコーヒーを飲んでいると、ふと寂しさが胸に広がる。この寂しさは、慣れるものなのだろうか。
「誕生日、おめでとう」
突然、スマホの画面にメッセージが表示された。タダシからだった。
「ありがとう」
と短く返信した。彼はいつも私の誕生日を覚えていたのだ。一つ年下と偽っているのに、彼はちゃんと二学年下の計算で、私の誕生日を覚えている。その事実に、胸の奥が少しだけ温かくなった。
私とタダシの関係は、まるで二本の川のようだ。若い頃は一つの大きな流れだったけれど、いつの間にか二つに分かれ、それぞれ別の方向へと流れていく。けれど、その源流は同じで、決して切り離せない絆で繋がっている。
彼は今、新しい場所で、新しい生活を送っている。私も、この場所で、私の生活を送っている。お互いに、幼なかったのかもしれない。それは、臆病さなのか、それとも、お互いを尊重しすぎた結果なのか。今となっては、どちらでもいいような気がする。
ケーキを一口食べる。甘さが口いっぱいに広がる。この味は、寂しさも、少しの温かさも、全てを包み込んでくれるようだ。60歳。新しい人生の始まり。この先、何が起こるかなんて誰にもわからない。もしかしたら、また川の流れが合流する日が来るのかもしれないし、このまま別々の道を歩み続けるのかもしれない。
ただ一つ言えるのは、っとそばにいてくれたタダシという存在が、私の人生の一部であるということ。それは、たとえ別居していても、変わらない事実だ。
窓の外では、春の陽光が、私の新しい始まりを祝福しているようだった。
私は短大で幼稚園教諭の免許を取り、卒業後すぐに働き始めたのだ。先輩も後輩も、みんなお互いを助け合いながら日々を過ごしていた。大変な仕事だったけれど、子供たちの屈託のない笑顔を見るたびに、私の心は満たされていった。あの頃の私は、社会と深く繋がっている実感があり、自分の存在意義を強く感じていた。
その仕事も、結婚を機に辞めて、専業主婦になった。新しい生活への期待と、少しの不安。けれど、愛するタダシと家庭を築くことに、私は何よりも大きな喜びを感じていた。ところが、結婚して間もなく、タダシから「仕事したら?」と唐突に言われたことがある。その言葉を聞いた瞬間、私の心にカチンと来た。子育ての大変さや、専業主婦として家庭を支えることの重さを知らないから、そんな心ない発言ができるのだと思った。私はきっぱりと断った。子育ても、家族を養うのも、どれほど大変なことか。彼には理解できていなかったのだろう。
タダシの限られた給料で家計をやりくりするのは、本当に大変だった。それでも、無駄なものを買わなければ、質素ではあっても体に良いものを子供たちに提供することは可能なのだ。私は家計簿を睨みながら、毎日頭を悩ませ、少しでも良い生活を送れるようにと奔走した。
そんな私の努力とは裏腹に、彼は、仕事のストレスからか、会社でカップ麺や菓子パンばかりを昼食に食べているようだった。結婚する前は、ウエストだってしっかり引き締まっていたのに、すぐにくびれがなくなってしまった。
声には出さなかったけれど、「太ったな」と心の中で思った。男の人は「幸せ太り」などと気楽に言い合っているようだが、私にとっては千年の恋も一瞬にして興ざめだった。彼の体型が崩れていくのを見るたびに、私の心の中の何かも、少しずつ、音を立てて崩れていくような気がした。
私の本当の名前は民子という。母は、「野菊の墓」の主人公から取ったと、嬉しそうに話してくれたものだ。けれど、私自身はその名前に、幼い頃からずっとコンプレックスを抱いていた。古風な響きが、どこか自分には似つかわしくない気がして、誰に対しても「たみと呼んでほしい」と懇願していた。たった一文字に簡略化することで、少しでもその重荷から解放されたかったのかもしれない。
一方、タダシの名前は、彼の母であるゆい子からつけられたと聞いている。彼はそのことをひどく嫌がっていた。「マザコンって言われるのが嫌なんだ」と、珍しく感情を露わにして言ったことがあった。その言葉を聞いて以来、私も人前で彼の母親の名前を口にすることは決してなかった。
彼も私も、名前にまつわる複雑な感情を抱えていた。それが、私たち二人の、最初の、そして最も大切な共通の秘密だったのかもしれない。言葉にせずとも分かり合える、深い絆のようなものを感じていた。
たみ61歳。
庭の向日葵が、今年もまた、私の背丈をはるかに超えて咲き誇っている。鮮やかな黄色は、まるで過去の輝かしい日々を嘲笑うかのようだ。60歳になった私、私は、冷たい麦茶を啜りながら、物干し竿に揺れる白いシャツを眺める。5年前、タダシがこの家を出ていってから、彼のシャツを洗うのはこれが最後になるかもしれない、と漠然と思っていた。しかし、いつの間にかそれが習慣となり、別居生活は5年目に突入していた。
タダシと最後に会ったのは、もういつだったか覚えていない。長男のタロウが29歳の時に生まれ、次男のジロウが31歳の時に生まれた。今は二人とも独立し、それぞれの家庭を持っている。子供たちが成長するにつれ、私とタダシの間にできた溝は、知らず知らずのうちに深まっていったのかもしれない。
結婚してからのことだ。タダシがたまに食器を洗ってくれることがあった。それは、私にとっては珍しいことで、最初は嬉しかった。しかし、彼の洗い方は大変雑だった。水滴はシンクの周りに飛び散り、食器は泡だらけのままで重ねられていた。彼の母親は台所仕事が苦手だったと聞いたことがある。きっと、その影響なのだろうと、私は勝手に納得していた。
ある日、また彼が食器を洗ってくれた時のことだ。私はその雑な洗い方を見て、つい言ってしまった。「タダシ、もう少し丁寧に洗ってくれない?泡が残ってるわよ」その瞬間、彼の顔はみるみるうちにこわばり、やがて真っ赤になった。「俺がせっかく手伝ってやってるのに、文句ばかり言うのか!」彼の怒鳴り声が、台所に響き渡った。私は驚き、そして傷ついた。手伝ってくれたことへの感謝よりも、完璧を求める気持ちが先行してしまったのだ。
今から考えると、あの時のタダシは、不慣れな家事を手伝おうと精一杯努力してくれていたのだ。彼なりの優しさだったのだ。それを、私は無碍にしてしまった。家事を手伝ってくれること自体が、どれほどありがたいことだったか。その時は、全く理解できていなかった。感謝の言葉ではなく、小言を言ってしまった自分を、今でも悔いる。あの頃の私は、すべてにおいて自分の価値観を押し付けがちだった。完璧主義な面があり、それが彼にとっては窮屈だったのかもしれない。
そして、その出来事がきっかけだったのか、タダシは少しずつ、私から距離を置くようになった。最初はちょっとした口論だったものが、いつの間にか口数が減り、視線も合わせなくなった。そして5年前の春、彼は突然、「しばらく実家で暮らす」と言って、家を出ていった。その日から、彼は一度もこの家に戻ってきていない。
別居が始まってから、私は何度も彼に連絡を取ろうとした。電話をしても、メールを送っても、返ってくるのは冷たい言葉ばかりだった。「電車代がもったいない」それが、彼がこの家に戻ってこない理由だった。たかが往復で3千円ちょっとの電車代。そんな金額で、私と彼の関係が断ち切られてしまうのか。そう思うと、胸が締め付けられるようだった。
本当は、もっと違う理由があるのかもしれない。私の言葉が、態度が、彼の心を深く傷つけてしまったのかもしれない。それに気づくまでに、あまりにも長い時間がかかってしまった。今となっては、もう手遅れなのかもしれない。
庭の向日葵は、夕陽を浴びて、ますますその色を濃くしている。私も、あの向日葵のように、真っ直ぐに、彼に向き合っていればよかったのだろうか。
「もっとコミュニケーションを取りたい」
それは、今となっては私の切なる願いだ。彼に会って、直接話したい。謝りたい。そして、もう一度、彼との関係を修復したい。
しかし、どうすればいいのか。彼に会いに実家に行ってみても、会ってくれる保証はない。電話やメールも、もはや通じない壁のようだ。私はただ、彼の連絡を待つしかないのだろうか。それとも、もう一度、私から行動を起こすべきなのだろうか。
ある雨の日、私はアルバムを開いた。そこに写っていたのは、若かりし頃の私とタダシ、そして幼いタロウとジロウ。あの頃の私たちは、確かに幸せだった。写真の中のタダシは、今よりもずっと穏やかな顔をしている。私の隣で、少し照れたように笑っていた。
当初、私はタダシの優しさに惹かれた。彼は口数は多くなかったけれど、いつも私を気遣ってくれた。私が疲れていると、何も言わずに温かいお茶を入れてくれたり、マッサージをしてくれたりした。私は彼のそういう不器用な優しさが好きだった。しかし、いつからだろう。その優しさを、当たり前のように受け取るようになってしまったのは。
私の名前のコンプレックスは、結婚後も私につきまとった。親戚の集まりで「民子ちゃん」と呼ばれるたびに、私は内心で眉をひそめた。タダシはそんな私を理解してくれていたのか、家では「たみ」と呼んでくれることが多かった。彼の優しさに甘えていたのかもしれない。自分の名前に対する劣等感を、彼にまで押し付けていたのだ。
タダシの母親は、昔ながらの専業主婦で、家事全般を完璧にこなす人だった。しかし、台所仕事だけは苦手だったらしい。
タダシが実家にいた頃、母親が作った料理は、いつも少し味が濃すぎたり、盛り付けが雑だったりしたと、彼は笑いながら話してくれたことがあった。きっと、彼にとって、母親の料理は愛情の証だったのだろう。完璧ではなくても、そこには確かに母親の愛情が込められていた。
だから、彼が食器を洗ってくれた時の、あの雑な洗い方も、彼なりの「手伝い」だったのだ。母親が苦手な家事を、自分ができる範囲で手伝おうとしていたのかもしれない。彼は、私に喜んでほしかっただけなのだ。なのに、私は彼の努力を認めず、自分の価値観で彼を測ってしまった。
結婚してからの私は、だんだんと自分の理想を彼に押し付けるようになっていった。子育てにおいても、家事においても、私のやり方が「正しい」と信じて疑わなかった。タダシは、そんな私に反論することなく、ただ黙って私の言うことに従うことが多かった。それが、彼を追い詰めていたのだと、今になってようやく理解できる。彼は私を尊重していたのかもしれないが、私の方は彼の意見や感情をあまり聞き入れようとしなかった。
ある時、タダシが会社のことで悩んでいた時期があった。私は彼の話を聞こうとしたけれど、結局は自分の意見を述べ、彼に「こうするべきだ」とアドバイスしてしまった。彼は何も言わなかったけれど、その時の彼の顔は、どこか寂しげだった。彼はただ、私に話を聞いてほしかっただけなのかもしれない。寄り添ってほしかっただけなのかもしれない。
タダシが「マザコン」と言われるのを嫌がっていたことも、今なら理解できる。彼にとって母親は、愛情をくれる存在であり、守りたい存在だったのだろう。その母親から名の一字をもらったことは、彼にとって誇りだったのかもしれない。それを、「マザコン」という言葉で揶揄することは、彼の尊厳を傷つける行為だった。私は、彼の繊細な心に気づいてあげられなかった。
別居してからの5年間、私は自分の過去を何度も振り返った。あの日、あの時、もし私が違う言葉を選んでいたら。違う態度で接していたら。そう思うたびに、後悔の念が押し寄せる。彼は、もう私のことを諦めてしまったのだろうか。
ある日、タロウから電話があった。「母さん、父さんと話したよ。父さん、少し痩せてたよ。でも、元気そうだった。」タロウは、私とタダシの間に入って、何度か連絡を取ろうとしてくれていたらしい。しかし、タダシはなかなか首を縦に振らなかったという。
「パパは、ママのこと、まだ怒ってるみたいだよ。でも、寂しそうにもしてた。」タロウの言葉は、私の心を揺さぶった。彼はまだ、私に怒りを感じているのだろうか。しかし、寂しがっているという言葉に、一筋の希望が見えた気がした。
「タロウ、パパに、一度会って話したいって伝えてくれる?」私の声は、少し震えていた。
数日後、タロウから連絡があった。「パパからだけど、会ってもいいって言ってるよ。でも、外で。家にはまだ戻りたくないみたい。」
胸が高鳴った。5年ぶりの再会。どんな顔をして、彼に会えばいいのだろう。謝罪の言葉を、きちんと伝えられるだろうか。
約束の場所は、駅前の喫茶店だった。私は約束の時間よりも早く着き、窓際の席に座って、来るはずのない彼の姿を探した。緊張で、心臓がバクバク音を立てている。
そして、約束の時間を少し過ぎた頃、店のドアが開いた。そこに立っていたのは、見慣れた、しかし少し老けたタダシの姿だった。彼は、私に気づくと、一瞬、戸惑ったような表情を見せたが、やがてゆっくりとこちらに向かって歩いてきた。
「久しぶり」私がか細い声で言うと、彼は小さく頷いた。「ああ」
彼の顔は、以前よりも少し痩せているように見えた。目元には深い皺が刻まれ、白髪も増えている。しかし、その瞳の奥には、昔と変わらない優しさが宿っているように感じた。
私たちは、しばらく沈黙したまま、お互いの顔を見つめ合った。何を話せばいいのか、わからなかった。
私が口を開いた。「タダシ…ごめんなさい。あの時は、本当にひどいことを言ってしまった。家事を手伝ってくれたのに、感謝もせずに…」
私の言葉に、タダシは何も言わなかった。ただ、じっと私の目を見つめている。
「私、ずっと自分の名前にコンプレックスがあって…だから、あなたの名前のことも、理解できなかったの。マザコンだなんて、ひどいことを言って…本当にごめんなさい。」
涙が、私の頬を伝って流れた。5年分の後悔と、彼への感謝の気持ちが、一気に溢れ出した。
タダシは、ポケットからハンカチを取り出し、私に差し出した。その仕草は、昔と何も変わっていなかった。
「もういいよ」彼の声は、思ったよりも穏やかだった。「俺も、言いすぎた。お前が完璧主義なのは知ってたから、俺も少し反発してたんだ。」
彼の言葉に、私はさらに涙が止まらなくなった。彼も、私と同じように、苦しんでいたのだ。
「私、ずっと後悔してたの。電車代がもったいないって、あなたの言葉が…」
タダシは、ふっと小さく笑った。「あれは、俺なりの意地だったんだ。お前が謝ってくれるのを、待ってたのかもしれない。」
彼の言葉に、私の心は温かくなった。彼は、私を突き放していたわけではなかったのだ。
「たみ、俺も、お前と話したいと思ってたんだ。でも、どうすればいいか、わからなかった。」
私たちは、その後、何時間も話し合った。これまでの5年間、お互いが何を思い、どう感じていたのか。誤解していたこと、言えなかったこと。すべてを、ゆっくりと、丁寧に言葉にした。
タダシは、別居中に彼の実家で、母親の介護をしていたことを教えてくれた。母親は、以前よりも体が弱くなり、台所仕事もほとんどできなくなっていたという。彼は、母親の代わりに料理を作り、食器を洗っていたらしい。私がかつて指摘した「雑な洗い方」は、彼の母親が教えてくれたやり方だったのだと、彼は照れくさそうに話した。
「母さんも、料理は好きだったんだ。でも、体が思うように動かなくて…だから、俺が手伝うしかなくて。でも、洗い方なんて、どうでもよかったんだ。母さんが喜んでくれるのが、一番だったから。」
その言葉に、私はまた涙が止まらなくなった。彼が、どれほど母親を大切に思っていたか。そして、その愛情を、私までが否定してしまっていたのだと。
「ごめんなさい…本当に、ごめんなさい。」
タダシは、私の手をそっと握った。「もういいんだ。俺も、お前に頼りすぎてた部分もあった。お前が完璧に家事をこなしてくれるから、俺は甘えていたんだ。」
喫茶店を出ると、外はもうすっかり日が暮れていた。駅のホームに向かう途中、私たちは、まるで昔のように他愛のない会話を交わした。
「そういえば、庭の向日葵、今年も綺麗に咲いてるよ。」私が言うと、タダシは少し驚いたような顔をした。「ああ、あれは毎年きれいに咲いていたな。」
「来年は、一緒に見に行こうか。」私が恐る恐る提案すると、タダシは少し考えてから、小さく頷いた。「そうだな。」
彼の返事に、私の心は満たされた。一度壊れてしまった関係は、元に戻すのが難しい。しかし、時間をかけて、ゆっくりと、新たな形を築いていくことはできるのかもしれない。
駅の改札で、私たちは別れた。タダシは、私に背を向け、電車のホームへと歩いていく。その背中が、以前よりも少し大きく見えた。
家に帰って、私は庭に出た。暗闇の中で、向日葵のシルエットがぼんやりと浮かび上がっている。今年は、この向日葵が、私とタダシの新たな始まりを告げる花になるだろう。
別居生活は、まだ終わってはいない。しかし、今日という日を境に、私たちはまた、コミュニケーションを取り始めた。電車代がもったいない、なんて、もう言わせない。たかが3千円の電車代で、大切な人を失うなんて、もう二度とごめんだ。
向日葵の種が、再び土に蒔かれるように。私たちも、また新たな種を蒔き、これからの日々を育んでいこう。時間はかかるかもしれない。しかし、きっと、いつかまた、あの頃のように、互いを思いやり、支え合うことができるだろう。
私たちは、まだ物語の途中なのだ。これから、どのように変化していくのだろうか。少し、続きが自分事ながら気になっている。
たみ62歳。
私は食卓で、湯気の立つ味噌汁をすすりながら、ぼんやりとスマホの画面を眺めていた。
ゆうちょ銀行の残高照会アプリ。そこに表示された数字は、この2年間、タダシから「給料が出ている」と聞いていた金額とは程遠いものだった。
150万円にも満たない。
北海道での農家修行。まさか、そんなにもらえるはずがないと薄々勘付いてはいたけれど、改めて数字を見ると、やはりため息が出た。次男のジロウが、その大きな手で味噌汁の入ったお椀を差し出す。31歳になった息子は、いつの間にか私よりもずっと頼りがいのある存在になっていた。
二人の息子が、この賃貸マンションの家賃も、私の日々の生活費も、全て面倒を見てくれている。タダシが送金してくれるはずだった「給料」がなくても、なんとか暮らしていけているのは、ひとえにこの子たちのおかげだった。
「ママ、どうしたの? ぼーっとして。」
ジロウの声に、はっと我に返る。
「なんでもないよ。ちょっと、パパのこと考えてただけ。」
ごまかすように、私は視線を逸らした。タダシは北海道で、いったいどんな暮らしをしているのだろう。もしかしたら、ハチャメチャな生活をしているのかもしれない。でも、この程度の収入では、それほど盛大にハチャメチャもできないだろう。タダシのことは、このところ、あまり頻繁に考える余裕がなかった。彼の服装のことなんて、それこそ頭の片隅にもなかった。
最近、私の心を占めているのは、別の問題だった。実家に住む兄が脳梗塞で倒れたのだ。近所に住んでいるので、たまに様子を見に行っているが、生涯独身の兄は、退院しても面倒を見てくれる人がいない。毎日、リハビリに通っていると聞いている。
病院の廊下で、すれ違う人々の顔を見るたびに、人間の脆さを痛感した。少しの助けがあれば、もしかしたらもっと早く回復するのではないか。軽い生活介護が必要なのではないか、とも思っている。
兄のリハビリの付き添いで、病院の待合室に座っていると、私はふと、数年前の出来事を思い出した。タダシがまだ、北海道に行く前のことだ。
あれは、たしか、タロウの友人の結婚式に出席する日の朝だった。タダシは、クローゼットから引っ張り出してきた、くたびれた紺色のセーターを身につけようとしていた。毛玉だらけで、首元は少しよれ、袖口も擦り切れていた。私は思わず声を上げた。
「タダシ、ちょっと待って! そのセーター、まさか着ていくんじゃないでしょうね?」
タダシはきょとんとした顔で、セーターを見つめた。
「え? いいじゃないか、まだ着られるし。暖かくて楽だろ。」
「楽とかそういう問題じゃないの! 結婚式よ? せめて、もう少しちゃんとした格好をしてちょうだい!」
私は、タダシのために買っておいた、まだ新しいダークグレーのジャケットを引っ張り出した。
「これに着替えて。あと、シャツも新しく買ったやつがあるでしょう?」
タダシは不満そうな顔をしながらも、渋々着替えた。その日、結婚式会場で他の参列者と並んだタダシは、それでも周りの人たちに比べて、どこか垢抜けない印象だった。特に、手入れされていない髪と、無頓着に伸びたひげが、余計に彼の「だらしない」印象を強調していた。私は、あの時、もう少し厳しく言っておけばよかった、と後悔した。
タダシは昔から、おしゃれには無頓着な人だった。結婚当初は、私が選んだ服を着てくれたり、たまには「これ、似合うかな?」と聞いてきたりもしたが、歳を重ねるごとに、そのこだわりは完全に消え失せていった。どうせ農家修行なんだから、汚れてもいい服で十分。そう思っているのだろう。しかし、私は思う。たとえ農家修行の身であっても、身だしなみというものはあるはずだ。清潔感は、相手への敬意の表れでもある。
「タダシさんは、いつまでたっても、私に言われないと何もできないんだから。」
兄の介護を考えるたびにタダシのことが頭をよぎる。遠く離れた北海道で、ちゃんと健康に過ごしているだろうか。ちゃんと食べているだろうか。そして、あのくたびれたセーターのままで、誰にも会わずに過ごしているのだろうか。
もし、兄のように、タダシにも何かあったら。ぞっとした。彼の服装や暮らしぶりは、私にとっては小さな、取るに足らない問題に見えたけれど、もしかしたら、その無頓着さが、彼の健康や生活全般に繋がっているのかもしれない。
兄のリハビリが終わる時間になった。私は、深いため息を一つ吐き、重い腰を上げた。人間は本当に脆い。それは兄を見ていて痛いほどわかる。そして、夫のタダシも、例外ではない。いつか、彼が身につけるセーターやシャツが、もっと明るい色で、新しいものになる日が来るのだろうか。そして、そのとき私は彼の隣で、胸を張って歩けるのだろうか。
考えるべきことは山積している。兄のこと、子どもたちのこと。そして、遠く離れた北海道で、くたびれたセーターを着ている夫のこと。私の心には、いくつもの波が、静かに、そして確かに打ち寄せていた。
たみ63歳。
「ねえ、そろそろ来る頃じゃない?」
キッチンからリビングを覗くと、タロウがソファに深く沈み込み、スマホを弄りながら言った。隣ではジロウが相槌を打つように頷いている。今日は私の63歳の誕生日。まったく実感が湧かない。子どもたちが気を遣って、ささやかなお祝いをしてくれるというので、久しぶりに3人で食卓を囲むことになっていた。
「もうすぐね。でも、パパ、時間通りに来たことないじゃない」
私は苦笑しながら答えた。タダシ、私の夫。そして、小学3年生からの幼馴染み。
「そういえば、パパは、最近どうしてるの?」
タロウが尋ねる。
「相変わらずよ。元気にしてるわ」
そう答えるのが精一杯だった。別居してもう3年になる。最初は、お互いに距離を取りたかったせいだと思っていた。彼も私も、どこか息苦しさを感じていたのかもしれない。でも、今では、彼も一人の方が気楽なのでは、と思ってしまう。
ピンポーン。
玄関のチャイムが鳴った。子どもたちが顔を見合わせ、まるで子どものように嬉しそうな顔をする。私もまた、胸の奥が温かくなるのを感じた。
「おじゃまします」
タダシの声が聞こえる。相変わらず、少しだけ間の抜けた、でもどこか安心する声だ。リビングに現れたタダシは、少しばかり髪が薄くなったものの、昔と変わらない笑顔を私に向けた。
「たみ、誕生日おめでとう」
そう言って差し出されたのは、色とりどりの花束だった。派手すぎず、でも寂しすぎない、私好みの花々。彼が選んでくれたのだと思うと、胸の奥がじんわりと温かくなった。
「ありがとう、タダシ」
食卓には、タロウが腕によりをかけた手巻き寿司と、ジロウが焼いたケーキが並べられていた。どれもこれも、私のために作ってくれたものだと思うと、目頭が熱くなる。
「たみ、これ、俺からのプレゼント」
タダシが差し出したのは、小さな包みだった。開けてみると、そこには繊細なデザインのネックレスが収められている。
「ありがとう……」
声が震えた。こんな素敵なもの、まさか彼が選んでくれるなんて。
「どうしたんだよ、ママ。まさか、泣いてるのか?」
タロウが冗談めかして言う。
「泣いてなんかいないわよ。ちょっと、嬉しくて」
私は慌てて顔を上げた。タダシは何も言わず、ただ優しく微笑んでいる。その笑顔に、昔と変わらない彼の愛情を感じて、私はまた胸がいっぱいになった。
食事が終わり、子どもたちが片付けを始めると、タダシは私に切り出した。
「たみ、少し話さないか?」
二人きりになったリビングで、私は身構えた。何を話すのだろう。この2年間、ずっと避けてきた話題。別居のこと。私たちの関係のこと。
「実は、会社を辞めたんだ」
タダシの口から出た言葉は、私の予想をはるかに超えるものだった。転勤したのは知っていた。別居の理由も、転勤がきっかけだと聞かされていたから。でも、辞めたなんて。
「え……どうして?」
「いや、ちょっと、いろいろとね」
タダシは言葉を濁す。しかし、その表情はどこか晴れやかで、長年の重荷を下ろしたような清々しさを感じさせた。
「あのさ、たみ」
タダシが、私の方を向き直る。その真剣な眼差しに、私の心臓は嫌な音を立てて跳ね上がった。
「俺、また、たみと一緒に暮らしたい」
予想もしなかった言葉に、私は息を呑んだ。
「でも、私たちが別居したのは、お互いに距離を取りたかったからじゃなかったの?」
「確かに、最初はそう思った。でも、離れてみて分かったんだ。俺にはたみが必要だって」
タダシの言葉は、真っ直ぐに私の心に響いた。私だって、彼がいなくなってから、どれだけ寂しい思いをしてきただろう。一人の方が気楽だ、なんて、強がっていただけだった。
「でも、あなたの仕事は?」
「当面は、貯金でなんとかなる。それに、新しいことも考えてるんだ」
タダシは、楽しそうに自分の新しい夢を語り始めた。若い頃から、彼は新しいことに挑戦するのが好きな人だった。私には理解できないことも多かったけれど、そんな彼の真っ直ぐな情熱に、いつも惹かれてきた。
子どもたちが戻ってきて、リビングは再び賑やかになった。タダシの新しい夢の話に、子どもたちも興味津々で、3人で楽しそうに話し込んでいる。その光景を見て、私は胸の奥に温かい光が灯るのを感じた。
「ママ、よかったな」
タロウがそっと耳打ちする。ジロウもまた、にこやかに頷いている。子どもたちも、私たちのことを心配してくれていたのだ。
夜が更け、子どもたちが帰っていくと、リビングには私とタダシだけが残された。
「たみ、今日の夜は泊まっていっていいか?」
タダシが、遠慮がちに尋ねる。私は何も言わず、ただ頷いた。
翌朝、目が覚めると、隣にはタダシが眠っていた。久しぶりに見る、彼の寝顔。少しばかり皺が増えたけれど、昔と変わらない安心感を与えてくれる。
「タダシ……」
私は、彼の髪をそっと撫でた。彼が私にくれる愛情は、いつも変わらずそこにあったのだ。私がそれに気づかないふりをしていただけなのかもしれない。
彼とまた一緒に暮らす。その言葉が、私の胸に希望の光を灯した。再出発。遅すぎるなんてことはない。むしろ、これからが本当の始まりなのかもしれない。
「たみ、おやすみ」
寝言のようにタダシが呟いた。私は思わず笑みをこぼした。
「おはよう、タダシ」
私にとって、今日という日は、新しい誕生日のように感じられた。
彼が2学年年下なのが癪で、1歳くらい年下だと言い張っていた私。そんな小さな意地を張っていたことすら、今となっては愛おしい思い出だ。私たちは、お互いに幼かったのかもしれない。それでも、ふとした瞬間に感じていた愛情は、決して消えることはなかった。そして、それが、これから始まる私たちの新しい物語の、確かな道しるべになるだろう。
自己紹介「民子」
1964年10月23日、私はこの世に生を受けました。旧姓は山本。私の名前「民子」は、母が愛読していたという伊藤左千夫の小説『野菊の墓』の主人公から名付けられたと聞いています。はかなくも芯の強い民子の名に、私もまた、ひそかな願いを込めて生きてきたように思います。
高校の卒業式を終えたばかりの私は、友人たちと胸いっぱいの期待を抱いて東京へと旅立ちました。新しい生活への憧れと、未来への漠然とした希望を抱いていた、まさに青春の真っただ中でした。
20歳を迎える頃、私は当時はやったネットワークビジネスと出会います。「自由、家族、希望、そして報われること」。その理念は、若かった私の心に強く響きました。
当時の私は、ただただアップラインについていくだけで精一杯。むしろ、ついても行けていなかったかもしれません。周りには、このビジネスで信じられないほど成功を収めている人もいましたが、当時の私は、なんだか今一つやる気が起きませんでした。それでも、製品の良さは実感していたので、愛用者として関わりは持ち続けました。その理念が、私にとっての理想像として心のどこかに深く刻まれたのは確かです。
しかし、結婚して何年も経つうちに、あの崇高な理念とはかけ離れた生活を送っている自分たちに気づかされました。理想と現実のギャップに戸惑い、時には苦しむこともありました。かつて胸に抱いた「自由」や「希望」は、日々の生活の中でどこか遠くへ霞んでしまったように感じられたのです。
人生は、思い通りにならないことばかりだと痛感する日々でした。それでも、私は立ち止まることなく歩み続けてきました。いや、時には立ち止まり、自分自身と深く向き合う時間も必要だったと思います。そして、60歳を迎えた今、私は新たな自分を見つけたいと強く願っています。過去の経験がすべて無駄だったとは思いません。むしろ、それは私を形作る大切な一部であり、これからの人生を豊かにするための糧となるはずです。
この自己紹介を通して、私のこれまでの道のりを知っていただけたら幸いです。そして、これから出会う皆様との新しいご縁を心より楽しみにしています。
たみ