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どういうことだろう。神様を信じるのはやっぱり、時代遅れなんだろうか?自分のせいでも社会のせいでもないことって、みんなは「まぐれ」とか「偶然」ですませていませんか?偶然ではなくて、それは神様の思し召しではダメなのでしょうか?そんな事を考えています。会社では宗教と政治の話はしない、と上層部が決めていて、そういう前置きを社長や部長がすることがあります。

神様を信じることは時代遅れなのだろうか?

そういう会社にいるわけですが、片目の入っていないダルマがしばらく転がっていました。社内には神棚のようなものや干からびた羊羹のようなものや、お神酒が直射日光に当たっていました。神様を祀っていながら神様を大切にはしていない会社だなと思います。神様の話をしないと言いつつも、明治神宮にも合同参拝したことがあります。

医療に関わる仕事ですので、科学に基づいた仕事をしなくてはいけません。そういう姿勢は大切をしている会社です。その他に科学的ではない事件や考え方や判断の仕方もあります。人間関係や習慣や伝統なども本当は大切なことです。私の場合は、この科学に基づいた部分が極めて少なくて、それ以外がとても多いです。ブログを書いていてもそう思います。反省したほうがいいのかもしれません。

病気や体調不良

咳が出る今日このごろ。まだ完全に元気を回復していないのかもしれない。今朝は、散歩を5kmしました。夕方には、クタクタになったので、帰りは自転車にした。たまたま訪問先に自転車をおいていたので助かりました。

奇跡?

電車・バス・家族・食べ物・会社・仕事。当たり前の毎日ですが、全て奇跡だと思えます。奇跡は身近なところにあふれています。これらのことは、偶然や当たり前とも思うことができます。だから奇跡でも当たり前の出来事でもどちらでもいいのかもしれません。偶然や当たり前の出来事だと思うとその分感謝する気持ちが薄れるのは確かです。

嫌われる勇気

嫌われる勇気という本があります。会社の課題図書で読みました。嫌われていても、本人がしっかりしていれば全然怖くない。そのような内容でした。人間関係は人間の最大の悩みです。Twitterの発信とか全くフォロワーが集まらないのですが、人からいいねしてもらえないと思っていないとやっていけないと思いました。最近、SNSについては、なにか違うのではないか?と思っていますが、何が違うのかは、今の自分は気づけていません。

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