見えない気配り
民、52歳。長男のタローは23歳、次男のジローは21歳になった。子どもたちはすでに社会人となり、それぞれの生活を送っている。家の中は静かになったが、私と夫のタダシの関係は、昔から変わらない。特に、彼が**「気が利かない」**と感じる瞬間は、数えきれないほどあった。
タダシは、職場で気が利く男らしい。時折、珍しく自分から自慢話をすることがあった。
「この間、大きな会議に参加したんだけどさ、僕が言い出さなかったら、記念写真は残らなかっただろうな」
そう言って、得意げに笑う。私からすれば、そこまで自慢するようなことでもないだろうと思うのだが、彼が自分から手柄話をすることは滅多にないため、他にもきっと、彼の言う「気が利く行動」が多々あるのだろう。職場では、そういう行動が評価されるのかもしれない。
だが、家庭ではどうか。私から見れば、彼は**「気が利かない亭主」**そのものだった。なぜなら、彼の行動のほとんどが、家族のことを一番に考えていないように思えるからだ。
例えば、私が熱を出して寝込んでいても、彼は食事の準備をしてくれることはない。ただ「大丈夫か?」と声をかけるだけで、あとは自分の好きなように過ごす。私が、溜まった洗濯物を見てため息をついている横で、彼は悠々と趣味のパソコンをいじっている。私に何も言わないで外泊することなども、私の心労を全く理解していないからこその行動なのだろう。
無言の諦め
なぜ、彼は家庭でこれほどまでに気が利かないのだろうか。そして、なぜ、それを直そうとしないのだろうか。
きっと、私が何も言わないからだ。そう、私は分かっている。これまでの人生で、私は彼に多くのことを諦めてきた。不満を口にしても、彼は理解しようとしない。むしろ、機嫌が悪くなるだけだ。だから、私は、何も言わないことを選んだ。言っても無駄だと、諦めてしまったのだ。
彼の「気が利く」という行動は、あくまで自分の評価や、他人の目がある場所で発揮されるものなのだろう。家庭というプライベートな空間では、彼は素の自分に戻る。その素の自分が、私にとっては「気が利かない夫」なのだ。
私が疲れていようが、困っていようが、彼は自分のペースを崩さない。私の中には、彼のそんな態度に対する不満が積もり積もっているが、それを表に出すことはない。私たちの間には、もう、言葉で伝え合うことのできない深い溝がある。
今日もまた、リビングで自分の世界に没頭するタダシの背中を見つめながら、私は心の中で静かに呟く。「本当に、気が利かない人だな」と。そして、この関係が、これからもずっと続いていくのだろうと、私は諦めにも似た思いで受け入れている。

※この物語はフィクションであり、登場人物や団体名は架空のものです。実在の人物とは一切関係ありません。
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