募る不安、遠い背中

民、50歳。長男のタローは21歳、次男のジローは19歳になった。子どもたちはそれぞれの道を歩み始め、少しずつ親の手を離れていく。そんな彼らの姿を見るたび、私の心には漠然とした将来への不安が募る。夫のタダシが、これまで通り同じ会社に通い続けていたとしても、その不安が消えることはなかった。

なぜなら彼は、仕事以外にも様々な場所に顔を出し、その度に「将来のために」という名目で、お金にならない活動に没頭していたからだ。フリーマーケットでの店番、地域のボランティア活動、町の清掃活動。どれもこれも、傍から見れば立派な社会貢献だ。彼の外面はよかっただろう。誰にでも愛想が良く、積極的に行動する彼の姿は、きっと周囲から賞賛されていたに違いない。彼は、正しいこと、いいこと、目立つことが好きなのかもしれない。

しかし、その裏で、彼は本当にその活動の周りにいる普通の家族や、彼に頼っている弱い人のことを本心で考えていたのだろうか。私には、そうは思えなかった。彼の「将来のため」という言葉は、一体誰のための「将来」なのだろう。私たちの家庭の経済的な安定は、二の次になっているように感じられた。


「将来のため」という名の逃避

タダシは、会社から帰れば、すぐに次の活動へと駆り出されていく。週末も、早朝から出かけていき、帰ってくるのは決まって夜遅くだ。その間、家のことは私に任せきり。子どもたちの成長に合わせた出費も増えていく中で、彼の無報酬の活動は、私にはただの現実逃避にしか見えなかった。

何度か、彼に遠回しに言ったことがある。「もう少し、家のことにも目を向けてほしい」と。しかし、彼はいつも「これも将来のためだから」「社会貢献だよ」と、同じ言葉を繰り返すだけだった。彼の目には、私の不安も、子どもたちの成長に必要な現実的なお金も、見えていないようだった。

タローが大学に進学する際も、ジローが専門学校を選ぶ際も、学費や生活費の工面は常に私にのしかかった。タダシは、口では応援するが、具体的な行動に移すことはほとんどない。彼は、ひたすら自分の「将来のため」という名の活動に邁進するだけだった。

私は、彼の外面の良さと、内面の無責任さのギャップに、日々疲弊していった。彼の周りには、いつも笑顔の人がいる。賞賛の言葉が飛び交う。けれど、その陰で、私は静かに不安を募らせていた。

このままでは、本当に将来どうなるのだろう。老後の生活、子どもたちの独立。考えるほどに、胸が締め付けられる。彼は、きっと何事もなく、自分の信じる道を突き進んでいくだろう。けれど、その先に、私たち家族の本当の幸せがあるのか。私には、その答えが見えなかった。タダシの遠い背中を見つめながら、私は尽きることのない不安を抱えていた。

シンデレラ城で記念撮影

※この物語はフィクションであり、登場人物や団体名は架空のものです。実在の人物とは一切関係ありません。
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