キャベツの怒り

たみ、44歳。長男のタローは15歳、次男のジローは13歳になった。彼と私が付き合い始めた頃は、ただ一緒にいるだけで楽しかった。初めてのデート、何でもない会話、手を繋いで歩くだけで心が躍った。しかし、子どもが生まれてからは、家でくつろげないと思うようになった。子どもたちがいるからではない。夫のタダシがいるからだ。

タダシは、外では真面目で几帳面だと思われている。誰にでも愛想が良く、物腰も柔らかい。だが、三年も一緒に暮らしていると、その外面がいかに上辺だけのものか、嫌というほどわかるようになった。家の中では、彼は驚くほど不真面目でだらしない。脱ぎっぱなしの服、飲みかけのコップ、散らかったままの新聞。小さなことかもしれないが、それが積み重なって、私の心に重くのしかかっていた。

彼の優しいところは相変わらずだった。疲れている私を気遣う言葉をかけてくれたり、肩を揉んでくれたりすることもある。しかし、今の私には、優しくされるよりも、ただ自由にしたい、くつろぎたいという気持ちの方がはるかに強かった。たまには、大好きなドラマを日がな一日、誰にも邪魔されずに見続けて、時間を潰したい。そんな些細な願いさえ、叶えられない日々に辟易していた。

食事の用意も、手抜きするわけにはいかない。子どもたちの成長期だから、栄養バランスも考えなければならない。朝、昼、晩と三食作るのは、それだけでかなりの労力だ。タダシが家にいる日は、無言のプレッシャーをかけていた。「どうか、昼間はどこかに出かけてくれますように」と。彼が家にいると、自分のペースが乱されるような気がして、心が休まらなかった。


私の怒りの捌け口

ある日の昼下がり。私は、キッチンで夕食の準備をしていた。まな板の上には、丸々としたキャベツと、シャキシャキのレタスが置かれている。その時、私の心に、これまで溜め込んできた怒りと不満が、一気に押し寄せてきた。

なぜ、私ばかりがこんなに頑張っているのだろう。なぜ、彼は私を理解しようとしないのだろう。なぜ、私の愚痴を、彼は聞いてくれないのだろう。

言葉にならない感情が、胸の奥で渦巻く。その矛先は、目の前のキャベツとレタスに向けられた。

ドガっと。

私は、包丁の柄でキャベツを力任せに叩きつけた。少しだけ、ぐしゃっと潰れる音がした。次にレタスを。同じように、ドガっと

その瞬間、私の心は、ほんの少しだけだが晴れた。キャベツやレタスにぶつけることで、内に秘めていた怒りが、わずかながら解放されるのを感じたのだ。それは、誰にも見られることのない、私だけの小さな抵抗だった。

タダシは、今日もリビングでスマートフォンをいじっているだろう。私の心の中の嵐には、気づきもしないだろう。このささやかな行為が、今の私にとって、唯一のストレス解消法だった。そして、私は、このやりきれない気持ちを抱えたまま、今日もまた、家族のために食事を作り続けるのだった。

休日は自分のことばかり

※この物語はフィクションであり、登場人物や団体名は架空のものです。実在の人物とは一切関係ありません。
※このブログは A8.net 日記を綴りながら出会いを見つける新感覚コミュニティー『デジカフェ』 の提供でお送りしています。


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