私の名前は、本当は民子という。「野菊の墓」の主人公からとったと、母は嬉しそうに話していた。けれど、私自身は、その名前にずっとコンプレックスがあった。古風な響きが、どこか自分に合わない気がして、誰に対しても「民と呼んで」とお願いしていた。民、と簡略化することで、少しでもその重荷から解放されたかったのかもしれない。


けれど、その周りにいる普通の家族や、彼に頼っている弱い人たちのことを、本心で考えていたとは思えない。彼の行動は、いつも自分の評価や、自己満足のためだったように感じられた。私たち家族の生活を支えることよりも、社会的な評価や、自分の興味を優先しているようにしか見えなかったのだ。そのたびに、私の心には、漠然とした不安が広がっていった。この先、どうなるのだろう。この生活は、いつまで続くのだろう。

疲れてるのに気づいてくれない

そして、何よりも、私は疲れていた。養護施設での住み込みの保母の仕事をしていた頃、私は体を壊した。毎日、朝から晩まで子どもたちと向き合い、夜は交代で寝ずの番をする。体力も精神力も、限界だった。ある日、激しい腹痛に襲われ、病院で精密検査を受けた。結果は、内臓に腫瘍があるとのことだった。良性だったものの、その時の衝撃は忘れられない。それがあって、私はなるべく早く仕事をやめようと思ったのだ。

結婚の日程が決まり、新婚旅行先も決まった。南の島へ行こうと、二人で楽しそうに計画を立てた。けれど、結局新婚旅行には行かれなかった。体がボロボロだったからだ。腫瘍の摘出手術は無事に終わったものの、術後の回復には時間がかかった。彼の隣で、私はただ横になっていることしかできなかった。

タダシは、ストイックなところがあった。自分にだけではなく、かえって、周りの人にも人一倍厳しかった。彼の家庭が貧しかったから、そうなったのかもしれない。幼い頃から、人一倍努力しなければ、生き残れないと思っていたのだろう。負けず嫌いなところもあり、どうしても一番に執着する。だから、周りの人がついてこれないくらい疲れていても、彼はそのことに気づけないようだった。

私の体調が悪くても、彼は「大丈夫か」と形式的に尋ねるだけで、それ以上踏み込もうとはしなかった。私がどれほど疲れているか、どれほど辛いか。その感情を、彼は理解しようとしない。いや、理解できないのかもしれない。彼にとって、弱さを見せることは許されないことだったから、他人の弱さにも鈍感だったのだろう。

彼のそのストイックさが、私には時に冷たく、時に残酷に感じられた。私は、ただ、彼に「疲れているんだね」「無理しなくていいよ」と、寄り添ってほしかっただけなのに。彼は、いつも私に「もっと頑張れ」と言っているように聞こえた。そのたびに、私は、彼との間に、また一つ、見えない壁が築かれていくのを感じた。

「もっとコミュニケーションを取りたい」。今となっては、そう思っている。あの時、言えなかった言葉。あの時、伝えられなかった気持ち。それらを、今なら、もっと素直に伝えられる気がする。けれど、その機会は、もう二度と訪れないのかもしれない。

私は、この寂しさと、この解放感と、そして、夫との間に残された、言葉にならない絆を抱きしめながら、静かに、次の扉を開こうとしている。その扉の向こうに、何が待っているのかはわからない。けれど、私は、もう二度と、大切な言葉を心の奥底に沈めることのないよう、生きていきたい。

海外への新婚旅行はこの後取りやめになってしまった

※この物語はフィクションであり、登場人物や団体名は架空のものです。実在の人物とは一切関係ありません。
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