T県にあるK病院の透析室にその技師(臨床工学技師)さんはいらっしゃっいました。病院の組織改革や建て直しがある前から勤めていらっしゃった方なので院内のことは何でもご存知で、よく相談に行っていました。その技師さんと話しているとき「あぁ、ちょっと待っててね」とおっしゃられて、しばらく会話がとまることがあります。それからしばらくして「気づかなかったと思うけど、いま、いらっしゃったんだよ」と。「えっ?」と私(驚)。

じゅん
なになに、なにがみえたの?

みえる人と見えない私、それは透析室での体験でした

じゅん
幽霊とか霊魂とか、ホントにいるのかなぁ?

何のことだ?と疑問があると思いますので早めに結論を書いておきます。この技師さんには「見えた」のだそうです。見えたというよりも「いつも見える」のだそうです。何が?かというと、霊がですね。

病院の中にいたときの出来事

じゅん
どこにいたのか、興味津々

「病院の中なのでよく見かけるんだよね」ともいわれていました。「どこらへんにですか」と聞くと、透析装置の影にいたり、椅子に座っていたり、天井のほうを指さして「あの辺りにも」といわれていました。私には何も見えないし、気配も感じないので本当なのか嘘なのかはわかりません。「泣いていることもあるし、元気がないこともあるし、急に感情があふれることもある」のだそうです(技師さんの)。

病院では科学的に治療が行われている

じゅん
念仏でいいのか知らないけど

「慰めることもあるし、ひとこと叱りつけることもある」のだそうです。そういう対応はどうなのか、なにか作法があるのかもしれないのに大丈夫なのかな?と思っているとそれを察してか、「普段から念仏(お経と言われたかもしれませんが)を唱えているんだよ」と教えてくださいました。病院というと現代科学の集大成のような場所だと思いますが、そこで幽霊の話を聞くとは思ってもいませんでした。

夜道を運転中に教えてもらったこと

じゅん
町中で見かけたりするのもこわいかも

その技師さんは、病院の中だけではなくて街中でも見かけるそうです。町中で見かけるというと、この技師さんほどではありませんが、同じ仕事をしていた他の会社の人が「あ、あそこの電柱のかげに、いらっしゃいますね」と、夜道を運転してもらいながら教えてくださったことがありました。このときも、背筋が凍るような気持ちがしました。「気づかないだけですが、よくいらっしゃいますよ」「どうなんでしょうね、昔から見えていたから特別怖いという気持ちはありませんが」といわれていました。自分でも観てみたいと思いました。

観てみたいと思う自分

じゅん
ジェラシーなのか?

彼らと私、何か違いがあるのだとは思いますが、その違いや理由や仕組みは何なのだろうか、とても気になります。ここから少し理屈っぽい話をしますが、

みえる人と見えない人の違い
  • 偉い人と偉くない人、という訳ではない
  • 恵まれた人と恵まれなかった人、でもない
  • 感性が鋭い人と鈍感な人、という訳ではない
  • 前世に問題がなかった人と問題があった人、という訳でもない
じゅん
あるいは、遺伝するとか?

と、思っています。微妙なのは2番めの「恵まれた人なのかどうか」は、たしかに天賦の才能だから恵まれた人と恵まれなかった人がいるのかもしれないとは思います。でも、その才能自体を喜ぶ人と悲しむ人がいるというのも事実ですよね。

美人なのにそれを悲しく思っている人がいるの?>います、います!

じゅん
痩せているのに、ダイエットがんばってる人も?>いますね!

たとえば、美人なのにそれを悲しむ人とか、スリムなのにそれがコンプレックスだという人のことです。実際に才能があっても、自分では積極的にプラス評価できない場合もあるわけです。そんなときにオススメなのは「なんでもありがとう」運動(仮称)です。

なんでもありがとう運動(仮称)
  • ありがたいなと思ったら、心のなかで「ありがとう」
  • がんばっているだれかがいたら、がんばっている理由を見つけて「ありがとう」
  • 自分が得意なこと・誇れることを30個書き出してみる

なんでもありがとう運動(仮称)のキモは、3番めの「自分が得意なこと・誇れることを30個書き出してみる」です。これがいちばん大変なのですが、それがスラスラできるようになるためには、日頃から1番目と2番めをトレーニングとして行うといいのです。たとえば、自分の場合は「幽霊が見えないこと」をどうしても誇れないのですが、「見えなくてよかった」と思える瞬間もあるわけです(たとえば運転手の左肩に幽霊が乗っていたけど誰も気づかずに峠越えできたときとか)。

じゅん
たしかに、感謝は大切だって、ハウツー本に書いてあったかも……

持っていない才能をありがたく思うためには、日頃から何でも感謝しておかなくてはできないのです。

要するに、できないことも感謝する?

じゅん
俊足じゃなかったからいつも1位以外だったなぁ

そうなのです。できないことも感謝するといいのです。そうすると世の中も住みやすくなるのと思います。運動会で1位だったからチヤホヤされる世界だと2番から後ろの人はちょっと嫌な世界に感じるでしょう。足の速さと人間としての良し悪しは無関係のはずです。どんな人がいてもいいという世界のことをダイバーシティ(多様性)といいます。ダイバーシティが尊重されないと、つぎのようなことが起こるでしょう。

ダイバーシティが尊重されなかった世界の具体例
  • ナチスによるユダヤ虐殺、その他の民族浄化運動
  • 桜がソメイヨシノばかりになってしまう(もちろん八重桜もありますが)
  • 常在菌を徹底的に消毒して免疫力が低下
じゅん
常在細菌とかソメイヨシノは、あまりそうは思わないけど……

歩けなくても、着替えができなくてもいい

ご飯を食べられなくても、しゃべれなくても、呼吸ができなくても、おしっこや排便の匂いがしていても、人間として問題ないと思える世界になってくれるといいと思います。死ななくてすみます。世の中、自殺者は多いです。2番から後ろの人が住みにくいと感じている世界を変えませんか。できないことをクヨクヨ考えなければいいのです。

じゅん
死んでリセットしたいと考えている、なにか間違えている、私

まとめ|みえる人と見えない私、それは透析室での体験でした

今回は人工呼吸器からの回復と関係なさそうな記事を書きました。人工呼吸器を使っていても自分で卑下したり死んだほうがいいと思わなくてもいいです(そのことが伝えたかった)。生きているだけで、誰かを感動させることはできます。うんこまみれでもおしっこまみれでも。時間はたっぷりあります。少しだけ頭を使ってみましょう。

じゅん
それじゃまた、バイバイ
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