たみ、40歳。長男のタローは11歳、次男のジローは9歳になった。専業主婦という道を選んだはずなのに、それはまるで終わりのない労働のようだった。給料もない。感謝の言葉もない。これほど最悪な労働環境があるだろうか。
特に夫のタダシは、まるで自分が家族に大きく貢献しているとでも言いたげな態度を取り続ける。彼は会社の仕事に邁進し、地域の行事にも積極的に参加し、教会のボランティア活動にも熱心に取り組んでいた。私たち夫婦には共通の信仰があり、共にクリスチャンだ。だから、彼がボランティア活動に取り組むこと自体は、決して悪いことだとは思わない。困っている人を助けたいという気持ちは、私にも理解できる。
しかし、その一方で、彼が家族のためにはまるで貢献しない姿勢は、どうしても許せなかった。彼は「外で働いているから」とでも言いたげに、家事や育児にはほとんど関わろうとしない。子どもたちの送り迎え、食事の準備、洗濯、掃除。すべてが私の仕事だった。時には、体調を崩して寝込んでいても、彼はまるで気付かないふりをして、自分の好きなように過ごす。
ある日曜日の朝、タダシが教会へ行く準備をしている私に言った。
「たみも、教会の活動に参加しないのか? 誰かの役に立つことは、素晴らしいことだぞ」
その言葉に、私は静かに怒りを覚えた。彼の言う「誰かの役に立つこと」とは、一体誰のことなのだろう。家族の役に立つことこそ、一番身近で大切なことではないのか。
「私には、今、やるべきことがあるから」
そう言って、私は教会活動には参加しないことにした。彼のボランティア活動への熱意が、私には、まるで家族から逃げ出す言い訳のように見えた。彼の口から「ありがとう」という言葉を聞くことは滅多になかった。私の努力が、報われないことに絶望していた。
空虚な日々
私は、毎日淡々と家事をこなし、子どもたちの世話をした。タローはもう高学年になり、ジローも手がかかる時期は過ぎたが、それでも、やることには終わりがない。夜、子どもたちが寝静まった後、リビングで一人、静かに紅茶を飲む時間が、私にとって唯一の安らぎだった。
タダシは、いつも疲れた顔で帰ってきて、食事を終えればすぐに自分の部屋にこもる。たまに会話をしようとしても、彼はすぐにスマートフォンに目を落とすか、上の空で生返事をするだけだ。私の愚痴を聞いてくれることもない。私がどれだけ頑張っているのか、彼には見えていないのだろうか。それとも、見ようとしていないのだろうか。
彼の「家族に貢献している」という態度が、私には何よりも辛かった。彼は、外での活動を通して、自己肯定感を得ているのだろう。しかし、その陰で、私は常に孤独を感じていた。
「私ばかり、頑張っている気がする」
この思いは、私の心に深く根を下ろし、日々の生活を重くしていた。この状況が、一体いつまで続くのだろう。私は、漠然とした不安を抱えながら、空虚な日々を過ごしていた。

※この物語はフィクションであり、登場人物や団体名は架空のものです。実在の人物とは一切関係ありません。
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