ソファに座り、私はぼんやりと天井を見上げていた。埃の舞う光の筋は、まるで過去と現在を繋ぐ細い糸のようだ。この静かな空間で、私は再び、あの頃の自分と夫のタダシを呼び起こそうとしている。
私の名前は、本当は民子という。「野菊の墓」の主人公からとったと、母は嬉しそうに話していた。けれど、私自身は、その名前にずっとコンプレックスがあった。古風な響きが、どこか自分に合わない気がして、誰に対しても「たみと呼んで」とお願いしていた。たみ、と簡略化することで、少しでもその重荷から解放されたかったのかもしれない。
一方、夫の名前は、彼の母の名前一字を受け継いだと聞いている。彼は、そのことをひどく嫌がっていた。「マザコンって言われるのが嫌なんだ」と、珍しく感情を露わにして言ったことがあった。だから、私も人前では彼の母親の名前を口にすることはなかった。彼も私も、名前にまつわる複雑な感情を抱えていた。それが、私たち二人の、最初の共通の秘密だったのかもしれない。
結婚してからのことだ。彼は、たまに食器を洗ってくれた。それは、彼なりに家事を手伝おうとしてくれた、優しさだったのだろう。けれど、その洗い方が、ひどく雑だったのだ。泡だらけのまま水で流し、汚れが残っていることもあった。私は、それを見て、彼の母親の顔を思い出した。彼女は台所仕事が苦手だった。料理もあまりせず、食器洗いも、いつも適当だったと、タダシが話していたのを覚えている。
私は、その時、つい言ってしまったのだ。「あなた、お母さんみたいに雑だね」。
その言葉を聞いた瞬間、彼の顔色が変わった。普段は感情を表に出さない彼が、珍しく、いや、初めてと言っていいほど、怒りを露わにした。「俺がやってるんだから、文句言うなよ!」彼の声は、低く、しかし、はっきりと私を拒絶した。私は、その剣幕に怯み、何も言い返せなかった。
あの時、私は何を考えていたのだろう。彼が手伝ってくれることのありがたさよりも、完璧ではないことへの不満が勝ってしまった。彼の母親と結びつけてしまったのは、私の悪意だったのかもしれない。今から考えると、彼が家事を手伝ってくれること自体が、どれほどありがたいことだったか。彼は、慣れないことを、私のためを思ってやってくれていたのだ。
あの出来事以来、彼は二度と食器を洗うことはなかった。私が「ありがとう」と言っても、彼はもう、私の言葉を受け入れようとはしなかった。あの時、もっと違う言い方ができたはずだ。彼の努力を認め、感謝の気持ちを伝え、そして、優しく、しかし具体的に、洗い方を伝えることもできたはずだ。
けれど、私はそれをしなかった。そして、彼は、私の言葉に深く傷つき、心を閉ざしてしまった。あの瞬間が、私たちの関係に、決定的な亀裂を入れたのかもしれない。
結婚する前の私は、養護施設で働いていた。幼児教育の免許を取り、そのまま住み込みで働き始めたのだ。五人の先生たちで、二十人近い子供たちを交代で見ていた。二歳以下の小さな子から、中学生くらいまで。中には、どこかに障害があったり、家族から見捨てられたりした子供たちもいた。大変な仕事だったけれど、子供たちの笑顔を見るたびに、心が満たされた。あの頃の私は、社会と繋がっている実感があった。
その仕事も、結婚を機に辞めて専業主婦になった。新しい生活への期待と、少しの不安。けれど、夫と家庭を築くことに、私は喜びを感じていた。ところが、結婚して間もなく、タダシから「仕事したら?」と言われたことがある。その言葉を聞いた瞬間、私はカチンときた。子育ての大変さを知らないから、そんな心にもない発言ができるのだと思った。きっぱりと断った。子育ても、家族を養うのも、どれほど大変なことか。彼には理解できていなかったのだろう。
夫の限られた給料でやりくりするのは、本当に大変だった。それでも、いらないものまで買わなければ、質素でも体にいいものを子供たちに提供することは可能なのだ。私は、家計簿を睨みながら、毎日頭を悩ませた。
そんな私の努力とは裏腹に、彼は、仕事のストレスからか、会社でカップ麺や菓子パンをお昼に食べているようだった。結婚する前は、ウエストだってしっかりあったのに、すぐにくびれがなくなってしまった。声には出さなかったけれど、「太ったな」と心の中で思った。男の人は「幸せ太り」などと言い合っているようだが、私にとっては千年の恋も興ざめだった。彼の体型が崩れていくのを見るたびに、私の心の中の何かも、少しずつ崩れていくような気がした。
そして、もう一つ、彼のことで気になっていたことがあった。営業もやっていたタダシは、就職時に買ったスーツをいつまでも着ていたのだ。よれよれになり、肘や膝の部分はテカテカ光っている。さすがにこれはまずいだろう、と結婚する少し前に、彼のスーツを買いに行くことにした。彼は「いらない」とぶつぶつ言っていたけれど、半ば強引に連れ出した。
幸い、高校時代の同級生がスーツ専門店に就職していたので、その店を訪ねてみた。もちろん、私だって男性が着るスーツの良し悪しなんてよく分からない。けれど、三着も着せてもらえば、こういうスーツなら彼に似合う、というくらいは分かる。ところが、タダシのほうは全然似合っていないスーツばかりを選んで試着しては、どれにしようか悩んでいた。店員である友人も、困った顔をしている。結局、友人のアドバイスも借りて、私がいくつか候補を絞り、その中から彼に選ばせた。合わせるネクタイも五本ほど選んで、お金は私が払った。スーツは彼への投資だ。これで、彼が会社に行っても恥ずかしくはないだろう。そう思って、私は少しだけ満足した。
しかし、その期待はすぐに裏切られることになる。週末に彼と会うと、夏なのに冬服のような分厚い上着を羽織っていたり、冬なのに半袖だったりする。せっかく買ったスーツも、着こなしがまるでなっていない。もっとおしゃれに気を使ってほしい。そう強く思った。これはもう、結婚して、私が介入するしかないのではないか。彼の身だしなみを整えるのは、妻である私の役目だ。そう、あの時の私は、真剣に考えていたのだ。
付き合いだした頃は、本当に一緒にいることが楽しかった。どこへ行くにも、何をするにも、彼がいればそれだけで特別だった。けれど、長男が生まれ、二年後に次男が生まれたころからだろうか。私は強烈に思うようになった。「たまには、ひとりになりたい」と。
家の中にいても、心が癒されない。刺激がない。外に出たい。でも、好きな旅行に行きたいわけじゃない。もし旅行に行くなら、子どもたちも彼もなしで、一人で行きたい。そんなお金のかかることじゃなくていい。近所に住む友達の家で、友情を育むというのもいいかもしれない。市議会議員の奥様や、米農家の奥様がいる。工場を営むご夫婦の家で、畑仕事をさせてもらうのもいい。
どうしても、タダシと一緒にいたくない。息苦しい。何も楽しくない。なぜだろう。子どもたちがいるからではない。むしろ、子どもたちといる時間は、私にとってかけがえのないものだった。問題は、夫がいることだった。
彼の外面は、まじめで几帳面。会社でも、きっとそう振る舞っていたのだろう。けれど、三年も一緒に暮らしていれば、その裏の顔が見えてくる。不真面目で、だらしない。脱いだ服はそのまま、使ったものは出しっぱなし。小さなことだけれど、それが積もり積もって、私の心を蝕んでいった。優しいところは相変わらずだったけれど、その優しさに包まれるよりも、私はただ自由にしたい、くつろぎたいという気持ちが強くあった。
たまには、大好きなドラマを一日中見て、日がな一日をつぶしたい。そんなささやかな願いすら、彼がいると叶えられない気がした。食事の用意も、手抜きするわけにはいかない。彼が家にいると、どうしてもきちんとしなければ、というプレッシャーを感じた。だから、週末になると、どうか昼間は出かけてくれますように、と無言のプレッシャーをかけていた。彼は、私のそんな気持ちに気づいていたのだろうか。それとも、ただ、私が不機嫌なだけ、と思っていたのだろうか。
子どもたちが保育所へ通うようになった頃、タダシが転勤となった。「来月から転勤で佐久に行く」。そう報告を受けた時は、正直、返す言葉もなかった。長野県。土地勘もない。知り合いもいない。引っ越しまで二週間もなく、子どもをみながら、たった一人で引っ越しの準備をした。段ボールを運び、荷物を詰め、役所の手続きに奔走する私の隣で、彼はただ「大変だな」と呟くばかりだった。
新しい保育所は、保育所から紹介してもらったものの、なんと新しい自宅から25kmも離れていた。朝夕の送迎で、一日二往復、合計100km。ガソリン代も、時間も、体力も、すべてが削られていく。彼は「仕事だから仕方ない」と、まるで他人事のように言った。その言葉を聞いた時、私の心に、ふつふつと怒りの感情が湧き上がった。仕事だから仕方ない? 家族のことを最優先に考えるべきじゃないのか。そう叫びたかったけれど、じっとこらえた。
百歩譲って、私のことは後回しでもいい。けれど、子どもたちのことだ。慣れない環境で、新しい保育所に通う子どもたちのこと。その子育てに、もっと積極的に関わってほしい。送迎だけでも手伝ってほしい。そう願ったけれど、彼の口から「手伝おうか」という言葉が出ることはなかった。彼は、いつも自分の仕事が一番で、家族のことは二の次だった。そのことに、私は深く絶望した。
そして、彼のもう一つの顔。タダシは、IT企業に勤めていた。だから、ノートパソコンやスマホは、いつも最新のスペックで、惜しげもなく買い物をしていた。月に一度、仕事で東京に出かけると、しばらくして大きなパソコンが届いたりしていた。それが彼の楽しみなのだろうと、当時は特に気に留めなかった。
しかし、近頃は、新しいものを買うよりも、いまある会社支給のスマホを使い倒すことに意義を感じているようだった。いや、使い倒すというよりは、ただひたすら見ている、という方が正しいのかもしれない。食事中も、テレビを見ている最中も、ずっとスマホをいじっている。きっと、仕事をしているときも、運転中も、電車の中も、待ち合わせでも、彼は常にスマホをいじっているのだろう。
食事の時くらいはやめてほしい。そう何度思ったことか。せっかく作った料理を前に、彼はスマホの画面に釘付けになっている。会話も途切れがちになり、食卓は沈黙に包まれる。その沈黙が、私の心をさらに冷え込ませた。
「なんでスマホばかり見てるの?」
そう、心の中で何度も呟いた。何をそんなに探しているのか、私には全く理解できなかった。仕事の連絡だろうか。それとも、ただの暇つぶしなのだろうか。彼の視線は、いつもスマホの画面に吸い寄せられ、私を見ることはほとんどなかった。そのたびに、私は、彼の世界から取り残されたような孤独を感じた。彼の指が画面を滑るたびに、私たち二人の距離が、さらに広がっていくような気がした。
タダシに相談したことは、何度もある。それは、彼を頼りにしたいという気持ちの表れだったはずだ。例えば、子どもが学校でいじめられた時。私は、どうすればいいか分からず、ただただ途方に暮れていた。そんな時、彼に相談した。彼はすぐに小学校の職員室へ行って、文句を言ったようだ。その行動力には驚いたけれど、結果は芳しくなかった。後日、子どもが報告してきたのは、学校では彼が「モンスターペアレント」だと思われたようで、結局、いいように解決しなかったということだった。私は、ただ、子どもの辛さを分かち合ってほしかっただけなのに、彼は問題を「解決」しようとし、それが裏目に出てしまった。
父の病気がひどくなった時も、彼に相談したことがある。不安で、誰かに話を聞いてほしかった。彼は、すぐにインターネットで色々と調べてくれたのだろう。医者でもないのに、父の病気の原因や、今後どういうことが起こるか、専門家のような口調で並べ立てた。私は、そんなことを知りたいんじゃない。ただ、「私が、こんなところを一人で歩いているんだよ」と、知っていてもらいたかっただけなのに。
彼は、いつも私に「答え」を与えようとした。私が求めているのは、解決策や知識ではなかった。ただ、私の感情を、私の弱さを、そのまま受け止めてくれる存在が欲しかっただけなのに。彼の「解決」は、いつだって私の心を置き去りにした。私の愚痴かもしれない。彼にとっては、取るに足らないことだったのかもしれない。けれど、その小さな愚痴すら、彼は受け止めてくれなかった。だから、もう彼には、私の愚痴を話すことはない。そう決めたのは、いつからだろう。私の心は、彼に対して、完全に閉ざされてしまった。
彼の趣味は、パソコンやスマホをいじることだというのは、もう十分に理解していた。私には、彼が画面の中で何をしているのか、専門的なことは全く分からない。けれど、彼が現実から逃避していることは、私にも痛いほど分かった。私には分からないだろうと思って、彼はそういうところで必死に「仕事をしているふり」をするのだ。中身はどうせ、ゲームやバラエティーのような、中身のないコンテンツだろう。パソコンをいじっていれば、他人の目には、最優先の仕事をやっているように見えるからだろう。
以前、いっとき半田付けに狂ったことがあった。リビングのテーブルに、小さな部品や工具を広げ、黙々と作業に没頭していた。最初は、会社の仕事を持ち帰ってきているのかと思っていた。けれど、ある日、出来上がったものを見て、私は唖然とした。それは、小さなクリスマスライトだったのだ。いくつものLEDが、きらきらと光る。どう見ても仕事ではない。彼の集中力と、その出来上がったものとのギャップに、私は言葉を失った。
彼も、すぐに仕事ではないと見破られないよう、趣味は他人が理解しにくいものを選んだように思う。私に口出しさせないため、あるいは、彼の世界に私が踏み込めないようにするため。そう考えると、彼の趣味は、彼にとっての「聖域」であり、私を排除するための壁でもあったのかもしれない。彼の世界は、どんどん私から遠ざかっていった。
今となっては、もう手遅れなのかもしれない。そう思うと、胸が締め付けられる。別居して、お互いに距離を取った結果、私たちは本当に自由になったのだろうか。それとも、ただ、あの時の傷を、見て見ぬふりをしてきただけなのだろうか。
「もっとコミュニケーションを取りたい」。そう思っている。あの時、言えなかった言葉。あの時、伝えられなかった気持ち。それらを、今なら、もっと素直に伝えられる気がする。けれど、その機会は、もう二度と訪れないのかもしれない。
窓の外では、小鳥のさえずりが、私の後悔の念を慰めるように響いている。春の陽光は、暖かく、そして、どこか残酷だ。新しい季節は、新しい始まりを告げるけれど、同時に、過去の取り返しのつかない過ちを、容赦なく照らし出す。
私は、この寂しさと、この解放感と、そして、タダシとの間に残された、言葉にならない絆を抱きしめながら、静かに、次の扉を開こうとしている。その扉の向こうに、何が待っているのかはわからない。けれど、私は、もう二度と、大切な言葉を心の奥底に沈めることのないよう、生きていきたい。

※この物語はフィクションであり、登場人物や団体名は架空のものです。実在の人物とは一切関係ありません。
※このブログは 電話占い【ココナラ】 もう、一人で悩まないで