終わらないワンオペ、そしてあきらめ
たみ、38歳。長男のタローは9歳、次男のジローは7歳になった。今でこそ、子どもたちは自分のことは自分でできるようになり、私も少しは楽になったが、あの頃の記憶は、私の心に深く刻まれている。
タローが生まれたばかりの頃、私は喜びと同時に、初めての子育てに戸惑っていた。夜中の授乳、頻繁なおむつ交換。どれもこれも、慣れないことばかりで、心身ともに疲弊していった。けれど、隣で眠る夫のタダシが、一度として夜中に起きてくれることはなかった。たまに、タローを抱っこしてミルクを与えてくれることはあったけれど、そのミルクの準備はすべて私がやった。温かいお湯を用意し、粉ミルクを測り、哺乳瓶を消毒し……。その手間暇を、彼は知ろうともしなかった。
次男のジローが生まれた時は、さらにひどかった。彼は、ミルクを与えることすら手伝ってくれなかった。ジローがいくら泣いても、彼はニコリともせず、自分の部屋に閉じこもってしまった。その背中を見るたびに、私の心には、鉛のような重いものがのしかかった。
買い物に行けば、重いベビーカーを押すのはいつも私。子どもたちを風呂に入れるのも、私が一人でこなした。二人を同時に洗い、拭き、服を着せる。その間、タダシはリビングでテレビを見ているか、スマートフォンをいじっているか。彼に、子育てを経験したなどと言う権利は、微塵もない。そう、私は強く思っていた。
「教育」という名の逃避
そんなタダシにも、一つだけ、子どもたちに関心を示すことがあった。それは「教育」だった。子どもたちには早いうちからしっかりとした教育を受けさせたい、という彼の思いは、私には理解できた。
タダシは、図書館から算数の百ます計算の問題集を借りてきて、タローに熱心に教えていた。ことわざかるたも、何度も何度も読み聞かせた。その他にも、絵本や紙芝居を借りてきては、子どもたちに読み聞かせをすることもあった。子どもたちは、彼の読み聞かせを楽しんでいたようだった。時に、声色を変えたり、身振り手振りを加えたりするタダシの姿を見て、私も「彼なりに頑張っているんだな」と感じたこともあった。
しかし、それも長続きしなかった。タダシの方が、すぐに飽きてしまうのだ。数日もすれば、百ます計算の問題集は棚の奥にしまい込まれ、ことわざかるたも手付かずのまま放置された。読み聞かせも、最初のうちは楽しんでいた子どもたちも、彼がすぐに飽きてしまうことを察して、いつの間にか彼にねだることもなくなった。
彼にとって、子どもの「教育」は、あくまで自分の都合の良い範囲で、義務感から行うものだったのだろう。そこに、子どもたちへの深い愛情や、共に成長していく喜びは感じられなかった。
私は、もう彼に期待することをやめた。子どもたちのことは、私が守る。私が育てる。そう心に決めて、今日まで歩んできた。あの頃の無力感と疲労は、今でも私の中に残っている。そして、時折、「子どもを私に任せきりだ」という、あの頃の諦めと怒りが、静かに胸をよぎるのだった。

※この物語はフィクションであり、登場人物や団体名は架空のものです。実在の人物とは一切関係ありません。
※このブログは 電話占い【ココナラ】 もう、一人で悩まないで