私、たみ、28歳。夫のタダシは2歳年下の26歳。私たちは結婚してまだ間もない、新婚夫婦だった。彼の故郷は、北国の名峰、岩木山の麓に広がる、豊かな自然に抱かれた土地だった。その日は、彼の実家を訪ねるというわけではなかった。県内の温泉宿に招待されたのだ。一体誰からの招待なのか、詳しいことは知らされないまま、私はタダシと、そして彼の両親と共に、一台の車に揺られていた。


タダシの父は市役所の職員、いわゆる公務員だった。私の父はスーパーの青果売り場を任されており、どこか地元の顔役のような存在だった。父の明るく豪快な性格と、タダシの父の控えめで物静かな雰囲気との間に、私はささやかなギャップを感じていた。私の母は小学校の教員で、子どもの頃から常に「先生の娘さん」として見られてきた。一方、タダシの母は専業主婦だと聞いていた。そのことにも、ほんの少しだけ、見えない壁を感じていた。

温泉宿に着くと、案内されたのは広々とした畳の部屋だった。そこに集められたのは、私とタダシ、そしてタダシの両親の四人。特に何をすることもなく、ただただ同じ空間でくつろぐ、という趣向らしい。テレビもない。娯楽らしきものもない。私は手持ち無沙汰に、ただ座っているしかなかった。タダシは私に気を遣ってか、時折話しかけてくれたが、彼の父が同じ部屋にいると思うと、どうにも居心地が悪かった。息が詰まるような、窮屈な感覚に襲われた。

夕食の時間が来て、ようやく部屋を出ることができた。食堂は広々としていて、開放感があった。そこで私は、ようやくホッと一息つくことができた。食卓を囲んで、私たちは当たり障りのない会話を交わした。タダシの父は仕事の話を少しだけし、母は温泉地の土産物の話を楽しそうにしていた。私は相槌を打ちながら、早くこの時間が終わらないかと密かに願っていた。

夕食後、温泉に入ることになった。タダシの母が「一緒に行きましょう」と私を誘った。断る理由もなく、私は言われるがままに温泉へと向かった。脱衣所で着物を脱ぎ、湯船に浸かる。しかし、隣にはタダシの母がいる。私は緊張で、湯船の中で身動き一つ取れなかった。何か話さなければいけない、そう思うのに、言葉が出てこない。タダシの母も、特に話しかけてくることもなく、ただ静かに湯に浸かっていた。その沈黙が、私には重くのしかかった。

部屋に戻ると、もう九時を過ぎていた。一日の疲れがどっと押し寄せ、私はすぐに布団に入った。部屋の明かりが落とされ、静寂が訪れる。隣にはタダシが寝ているはずだが、意識はもう朦朧としていた。緊張と疲労で、私はあっという間に眠りに落ちた。

翌朝、朝食を済ませ、チェックアウトの手続きを終えた。そして、どこへ行くでもなく、そのまま解散となった。私は、バス停に向かうタダシの両親の姿を、ただ見送っていた。別れの挨拶を交わす時、私は精一杯笑顔を作ったつもりだったが、心の中は張り詰めた糸が切れたように、虚ろだった。

両親の姿が見えなくなり、タダシと二人きりになった途端、私の目から涙が溢れ出した。止まらなかった。まるでダムが決壊したかのように、とめどなく涙が溢れてきた。嗚咽が漏れ、呼吸が苦しくなる。タダシは驚いたように私の背中をさすり、「どうしたんだ、たみ」と心配そうに問いかけた。私はただ首を横に振るばかりで、何も答えることができなかった。きっと、あれは極度の緊張から一気に解放された反動だったのだろう。見知らぬ土地、慣れない環境、そして彼の両親とのぎこちない時間。すべてが私にとっては、張り詰めた糸のように感じられたのだ。

あれから、もう三十年以上もの歳月が流れた。あの日の記憶は、今でも鮮明に私の心に残っている。しかし、私はそれ以来、彼の実家には一度も足を踏み入れていない。私たちの結婚式にも、彼の両親を呼ばなかった。あの日のような、言いようのない悲しみを再び味わうかもしれないと思うと、彼らを呼ぶことができなかった。

子どもたちにも、彼の実家を訪れる機会を作ることはなかった。彼らが、私と同じような悲しみや、居心地の悪さを感じるのではないかと思ったからだ。それは、親としての私の、ある種の優しさだったのかもしれない。それとも、単なる逃避だったのだろうか。

これでよかったのかどうか、今でも自問自答することがある。親不孝だと言われるかもしれない。でも、私はこの選択が間違っていたとは思えないのだ。彼の両親とは、これからも会うことはないだろうと信じている。それは、私にとって、あの日の傷を深くすることなく、今の平穏な日々を守るための、唯一の方法だからだ。

時が経ち、私ももう五十八歳になった。タダシとの間には二人の子どもがいる。長男はもう三十歳になり、先日、素敵な女性と結婚した。次男も二十五歳の娘さんを探しあて、自分の夢を追いかけている。子どもたちは、私が経験したようなぎこちない時間を、彼らの義理の両親との間で過ごすことはない。そう思うと、少しだけ、心が軽くなる。

あの日の温泉宿での出来事は、私の人生において、ある種の転換点だったのかもしれない。それは、結婚という新たな生活の中で、私が自分自身を守るための、小さな決断だった。そして、その決断が、私の人生の選択に、深く影響を与え続けている。今も、これからも。

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※この物語はフィクションであり、登場人物や団体名は架空のものです。実在の人物とは一切関係ありません。
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