老いると昔話が多くなる理由
老人と釣り

パソコンを開けない週末にしようと思いましたが、寝る前に4時間、スマホでSNSにイイネしていました。パソコンでも戦争映像をみてしまったし。こんなことをしていると、どんどん視力が悪くなってしまう。そう気が付いた時には、遠くを見たり、眼球を上下左右斜めにグルグル回したりしています。ただ、焼け石に水なのですが。

感謝

毎日3つ感謝することにしています。今日はこれ、

今日の感謝

☑ 義妹が教会学校へ持っていくといってくれた
☑ 隣の教会にも持っていけました
☑ 父との散歩

義妹が教会学校へ持っていくといってくれた

たくさん作って余ってしまった、旗セット(国旗を自作するキット)をお世話になった教会へプレゼントしようと思ったのです。実家から近い教会へは、義妹が「持って行きますよ」と連絡がありました。「それ、いいですね」と。うれしい。
それで、いつものカフェに「行きませんか?」とお誘いもあり、よろこんで行ってきました。

隣の教会にも持っていけました

この旗セット、隣の教会へは母がついて行ってくれました。母が知り合いに電話してくれて、夕方にそこにいるからとアポイントが取れました。その方の顔がわからないので母がついてきてくれました。おかげで30分くらい母とドライブできました。

そこの教会では久しぶりにお会いする神父とも話ができました。「今日はこれから(母の)お孫さんが来るそうですよ」とラインメッセージを見せてくださいました。4歳の里子さんを連れてくるようです。感謝です。

父との散歩

夕日がまぶしくなくなる5時30分ころに散歩する父と一緒に出掛けました。父の歩みが1年で遅くなっているような気がします。「遅くなったね」とはいわない。他人が聞くと嫌がるかもしれなのでここでは言わない選択をします。

ポツリポツリと父と話しをしてきます。「この道路はむかし、溝にふたをしてできた」とか「もと従業員がこの家に住んでいて」のような昔話が多いです。しみじみ聞けました。
昔ばなしは、聞いて反論することもないし、「それでどうなったの?」と相槌が打ちやすいです。話している父にとっても、心地よいのかもしれません。老いに感謝します。

このこともあって、この記事を書くことになったわけですが、

老いると昔話が多くなるわけは

ほんとうは、しゃべりたいことがたくさんあるのですが、それをいったらおしまいよ、とブレーキをかけているのではないかと思います。人間関係は大切ですからね。

そうすると、何もしゃべることがなくなってしまうので、あたりさわりのない、昔話をするのだと思います。

しゃべりたいことがたくさんあるとどうしてわかったか?

実家の父は、子どもたちひとりひとりに、いいたいことがあったようです。私にもあるだろうと思いますが、直接は言いません。

以前、私の兄について「どうして、こうするんだろう?」と、何気なく私に話しかけたことがありました。私がどう答えたか忘れましたが、父にとって、有意義な答えでなかったかもしれませんし、期待外れの答えをしていたかもしれません。

それから、同じような質問や投げかけは、父からなくなりました。ある意味で、兄の悪口になるかもしれないと、心配もあったのではないでしょうか。

この出来事と、その後の父の態度で、「年寄りもしゃべりたいことはたくさんある(一般論)」ということに気づいたのでした。

老いると昔話が多くなる理由のまとめ

まとめますと、年をとるとこれまで以上に人間関係を気にしながら行動するため、いってはいけないと思う話題が増えてくるからだと思われます(※諸説あります)。昔話は、誰も非難批判しなくていいから、心地よくおしゃべりができるようです。

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