義実家と、その後の私たち

たみ、35歳。長男のタローは6歳、次男のジローは4歳になった。引っ越して間もない頃、私たちは頻繁に友人宅の集まりに参加していた。夕食を持ち寄って、大人たちが賑やかに談笑し、子どもたちが部屋を駆け回る、そんな光景が日常だった。

夫のタダシは、子ども好きだった。幼い子どもたちの面倒をよく見てくれた。図書館で紙芝居を借りてきては、子どもたちに読み聞かせをしていた。友人の子どもたちには少し幼稚すぎた内容だったようだが、それでもタダシは楽しそうに声を張り上げていた。

彼はお酒が苦手だったから、集まりの帰りはいつもタダシが運転役だ。大人たちがビールや日本酒を片手に盛り上がる中、彼だけがファンタを飲んでいる。その時点で、彼のテンションは周りとは少しずれていた。大人たちの会話には加わらず、ひたすら子どもたちの相手をしている。

「タダシさんも、こっちで話しましょうよ」

そう声をかけられても、彼は子守に専念しているフリをしていた。でも、私には分かっていた。彼は、大人たちの話が苦手だから、そこから逃げているのだと。社交辞令や、当たり障りのない会話が、彼には苦痛なのだろう。

そんな状況がしばらく続いたある日、決定的な出来事が起こった。その晩も友人宅で大人も子どもも入り混じって深夜まで盛り上がり、そのまま泊まることになった。翌朝、タダシのおねしょが発覚したのだ。もうこの歳で、と思うと同時に、子どもたちでさえとっくに卒業しているというのに、と呆れてしまった。この一件は、私たち家族にとっての「汚点」でもあり、詳細は語りたくない。ただ、この出来事を境に、タダシ抜きでの家族同士の交流会が、延々と続くことになったのだ。

友人たちは、きっと気を遣ってくれたのだろう。タダシがいなくても、私と子どもたちが気兼ねなく楽しめるように。それはありがたいことではあったけれど、私は少し、複雑な気持ちでいた。タダシは「空気読んでよ」と直接言われたわけではない。けれど、その場の雰囲気、周りの配慮が、彼を蚊帳の外へと追いやったように感じられた。

それ以来、友人宅での集まりは、私の顔と子どもたちの顔だけになった。タダシは、家で一人、静かに過ごしている。彼がそれで満足しているのか、それとも、どこかで孤独を感じているのか。私には、その本当の気持ちは分からない。ただ、あの日の出来事を境に、彼の居場所が少しずつ失われていったように思えて、私は時々、胸が締め付けられるような思いになるのだった。

家でくつろげない

※この物語はフィクションであり、登場人物や団体名は架空のものです。実在の人物とは一切関係ありません。
※このブログは 電話占い【ココナラ】 もう、一人で悩まないで の提供でお送りしています。



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