佐久への道
たみ、34歳。長男のタローは5歳、次男のジローは3歳になった。子どもたちがそれぞれ保育所に通い始め、私も少しずつ自分の時間を取り戻しつつあった、そんな矢先のことだった。
ある日の夕食時、タダシが突然切り出した。
「来月から、転勤で佐久に行くことになった」
正直、返す言葉もなかった。佐久。長野県の東部に位置する、聞いたことのない土地。土地勘もないし、知り合いもいない。私たちの生活が、突然、根底からひっくり返されるような感覚だった。引っ越しまで二週間もないという慌ただしさの中で、私は子どもたちを連れて、一人で荷造りを進めた。タダシは、いつも通り「仕事だから仕方ない」と繰り返すばかりだ。
新しい保育所は、前の保育所から紹介してもらっただけあって、すぐに決まった。しかし、その場所を聞いて、私は思わず絶句した。新しい自宅からなんと25kmも離れているという。朝夕の送迎で、一日2往復100km。ガソリン代も馬鹿にならないし、何より、子どもたちを連れての長距離移動は、想像するだけで気が遠くなった。
「仕事だから仕方ないだろう」
タダシのその言葉が、私の心に深く突き刺さった。仕方ない、仕方ないって、そればかりだ。家族のことを最優先に考えるべきじゃないのか。怒りの感情がふつふつと湧き上がってきたが、私はぐっとこらえた。百歩譲って、私のことは後回しでもいい。でも、子どもたちのことだ。慣れない土地で、新しい環境に戸惑うであろう子どもたちを、もっと気にかけてほしい。子育てにもっと積極的に関わってほしい。そう強く願った。
引っ越しの日、トラックの荷台に、見慣れた家具が次々と運び込まれていく。タローは、好奇心旺盛に作業を見つめているが、ジローは不安そうに私の服の裾を握りしめていた。新しい家は、確かに広かった。けれど、そこには見知った景色も、懐かしい匂いもなかった。
佐久での生活が始まった。朝は早くから起き、子どもたちを車に乗せて、遠い保育所まで向かう。帰ってくれば、家事と育児に追われる毎日。あっという間に夜になり、タダシが帰宅する頃には、もうヘトヘトだった。
タダシは、仕事ではきっと頑張っているのだろう。でも、家に帰ってくると、どこか他人事のような態度を取ることが多かった。私が保育所の送り迎えで疲れ切っていることにも、あまり関心がないようだった。
ある夜、ジローが熱を出した。慣れない環境での疲れが出たのだろう。私は夜通し看病し、朝になっても熱は下がらない。タダシに保育所の送迎を頼もうとしたが、彼は「大事な会議があるから」と、あっさり断った。
その時、私の心の中で何かが切れた。
「あなた、自分のことしか考えてないでしょ!」
声に出して言おうとした言葉を、寸前で飲み込んだ。言ったところで、どうなるだろう。彼は、きっと理解できないだろう。いや、理解しようとしないのかもしれない。私は、怒りを通り越して、諦めのような気持ちに包まれた。
佐久での生活は、まるで試練のようだった。それでも、私は前に進むしかなかった。タローとジローの笑顔が、私の唯一の支えだった。いつか、この場所で、私たちの家族が本当の意味で「安住の地」を見つけられる日が来るのだろうか。私は、まだ見ぬ未来を、ぼんやりと見上げていた。

※この物語はフィクションであり、登場人物や団体名は架空のものです。実在の人物とは一切関係ありません。
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